「総勢384名の小学生が参加する大会なので、応援にいらっしゃる保護者のみなさんとあわせると大勢の人が集まる非常に規模が大きい大会といえます。長年続けていると羽根つき大会に力を入れて強豪チームになった学校もあるので、『打倒○○小学校』という目標を掲げて練習しているところもあるようです。
ルールが近いからということで、審判を中央区バレーボール連盟にお願いしているのですが、少しでも誤審しようものなら大変な抗議を受けます。それほど、参加する側も運営する側も真剣に取り組んでいる大会です」(中央区文化生涯学習課・吉原利明課長)
中央区のルールによれば、コートは川崎市より少し小さめの長辺7メートル×短辺3メートル。セット制で2セット先取すると勝利は同じだが4点先取で1セット取得でき、レシーブ時の連打は3回まで可能。羽子板と羽根は区で用意したものを各学校に配布、大会でも同じものを使用し、個人所有の「マイ羽子板」「マイ羽根」は存在しない。他の地域と羽根つきで対抗戦をする可能性はあるのかときけば「区としてはないですね」という。
「羽根つき大会の趣旨は青少年健全育成であって、伝統的あそびの『羽根つき』を知ってもらうのが目的です。もし小学校の側で希望があれば、学校単位で他地域との対抗戦などをする可能性はあると思いますが、羽根つきをスポーツのようにして続けているところはなかなかないので難しいのではないでしょうか」(前出・吉原課長)
羽根つきを全国、ひいては国際的なスポーツに育てようという動きが、これまでまったくなかったわけではない。1998年に富山県婦負(ねい)郡婦中(ふちゅう)町(※現在の富山市婦中)の体育指導委員協議会に日本スポーツ羽子板協会の事務局が設立され公式ルールを制定、2004年には国際ルールも定められた。
ところが、10年前に雪上スポーツとして実施されたのを最後に大会は開かれず、婦中町が市町村合併で富山市となる過程で日本スポーツ羽子板協会の存在もわからなくなってしまった。
川崎市や中央区のように、継続して大きな大会を実施している地域は少ないが、羽根つき大会そのものは全国各地で開かれている。桐の産地や、伝統的な日本人形や羽子板の生産地など実施され、ルールはバドミントンやバレーボール、テニスなどを参考にしたスポーツ的なものが大半だ。遠くない将来、失点すると顔に墨を塗る羽根つきは、古い映画や小説のなかだけの話になるのかもしれない。