言葉にできないモヤモヤした何か。これが「モノ」を売ることだと気づくのは長い迷宮を歩んだずっと後のことだ。大学をサボって雀荘に通い、また、ボクサーに憧れてジムに入門。子供の頃に事故で左目の視力を失ったことが災いして、ボクサーは断念した。中堅の不動産会社に入るもすぐに倒産。港湾労働や新聞の拡張団で日銭を稼ぎながら、無頼の生活を送った。
「20代の頃にバカな人生を送ったせいで、人間の本質的な部分をいやおうなしに学ばせてもらいました」
たどり着いたのが、処分品やサンプル品などを安価で販売するバッタ屋という仕事だった。1978年、29歳で西荻窪に「泥棒市場」を開店する。ドンキの原型はすべてここにある。
まだセブン-イレブンが11時で閉店していた時代、深夜遅くまで一人で商品の陳列をしていたところ、営業中と勘違いした客が立ち寄った。これがナイトマーケットという鉱脈を掘り当てるきっかけとなった。商品棚は「取りにくい、見にくい、探しにくい」という、流通業の教科書をすべて否定する手法をとった。溢れかえる商品を並べるためだ。店は異様な活況を呈す。1989年、安田はドン・キホーテ一号店を府中に立ち上げた。
「当時、大手のチェーンストアが隆盛を極めていた。しかし、我々にはそれをオペレーションする資本も人材もない。すべてにおいて勝てる要素がありませんでした」
ならばとことん逆を行こう、と安田は考えた。ただし、店のキャラだけ立てても、お客様は商品を買ってくれない。
「人の心を掴むのはどうすればいいか。心のひだに触れて、分け入っていくこと。これを商売の“座標軸”にしないと、受け入れられない」
■撮影/林紘輝
※SAPIO2015年6月号