そもそも、「緊急事態」という言葉の定義があやふやという問題がある。緊急事態の範囲も規模も程度も明確なものがないのだ。そのため、緊急に対する度合いの判断は個人の主観に頼るしかない。同じ状況でも、恐怖や不安を強く感じる人にとっては緊急事態となるが、「自分は平気、大丈夫だろう」と思う人は緊急性を低く見積もることになる。
東京電力による緊急時の人間行動特性の研究によると、緊急事態とは、その状況の中にいる人間に、非日常性や結果の重大性、時間切迫性、予想外性、突発性、対処の当事者性のような性質の一部かすべてがあると自覚されている状態を指すという。現状では感染予防対策が日常的になり、ダラダラと続いたことで時間的切迫感が無くなっている。日々の感染者数の推移は見聞きしても、周囲に感染者や重症者がいないと、「自分が感染するかも」という予想外性や突発性、当事者性の意識も薄れてくる。緊急事態において“慣れ”は一番の敵になるのだ。
だからこそ今度の緊急事態宣言は、もっと効果的でより強い措置を取らなければ発令する意味がないだろう。どう行動を変えたらいいのか、変えなければならないのか。ピシッと気持ちが切り換えられる宣言であればいいのだが。