“究極の孤独”を表現
そうした山頭火と放哉の名句を新刊『孤独の俳句』(小学館新書)から抜粋して紹介したい。
同書では、戦後の俳句界を代表する俳人である金子兜太氏(2018年没)が生前に選句・解説していた山頭火の代表句55句に加えて、放哉ファンを自認し自身でも自由律俳句を創作し続けているお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹氏が選句・解説する放哉の代表句55句を合わせた110句を紹介している。
山頭火と放哉は、共に“漂泊の自由律俳人”と呼ばれているが、その放浪のタイプは対照的だった。
山頭火は、家を捨て、妻子を捨て、晩年の14年余りを黒染の衣に袈裟をかけ、日本全国をめぐる行乞(ぎょうこつ)・放浪と句作に過ごした。たとえば、放浪の旅に出てまもないころにつくられたこの代表句を、金子氏はこう評している。
「分け入つても分け入つても青い山」 山頭火
〈1926(大正15)年の『層雲』発表句。[中略]「多感な戸惑いがちな旅感」といえるものがあり、次第にそれが深まり、深奥の難あるいは疲れの色を帯びてくる。ともあれ放浪一発目のこの句は、かなりロマンチックな、センチメンタルな句と言った方がいい〉(金子氏)
対する放哉は、一高、帝大、会社重役とエリートコースを歩みながらも、肺病と酒癖ゆえに転落し、独居しながら死を迎えられる場所を求めて流浪した。その究極の孤独を表現した代表句を、又吉氏はこんなふうに読み解く。
「咳をしても一人」 放哉
〈そもそも病床で俳句を詠むということが既に常人の業ではない。[中略]誰もいない孤独が満ちた部屋で咳をする。その咳は誰にも届かず、部屋の壁に淋しく響く。一つの咳によって部屋に充満していた孤独や寂寥が浮き彫りになる。その瞬間、それまでもずっと身近にあった「一人」が極まる。そして、その余韻が続いていくのである〉(又吉氏)