「討死」や「謀殺」、「自決」によって英雄の最期はドラマチックに語り継がれるが、「病」に苦しみ、「病」と闘い、「病」に斃れた歴史上の人物の悩みはあまり知られていない。源頼朝(1147~1199年。享年51)の死因は何だったのか?
平家を討ち滅ぼし、鎌倉幕府を創設した源頼朝の死因と言われているのが1198年12月27日に発生した落馬事故。頼朝は事故から約2週間後の1199年1月13日に死去し、落馬は脳卒中によるものと類推されている。
ただし、鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』に頼朝の死因についての記述はなく、執権である北条氏による暗殺説などのほか、糖尿病など多くの説が論じられている。
※病名などについては『戦国武将の死亡診断書』(酒井シヅ監修/エクスナレッジ刊)などを参考に記したが、病名や死因については諸説ある。生年・没年については『コンサイス日本人名事典』(第4版/三省堂)などを参考にした。享年は満年齢を基本としたが、出生・死亡日が不祥のものは数え年で表記したケースもある。
■監修/酒井シヅ(順天堂大学名誉教授)
※SAPIO2016年6月号