一度、「アカ」のレッテルを張られハリウッド映画界を追われた脚本家が、その後、自らの実力でハリウッドに復帰し、名誉を回復する。「トランボ」は、不当な権力と戦い続けた脚本家ダルトン・トランボを描く感動作。
一九四〇年代のアメリカでは、ソ連との冷戦の緊張から、リベラルな知識人への思想弾圧が強まった。ハリウッドでは、社会的問題意識を持った映画監督や俳優、脚本家たちが容共的と標的にされた。憲法の保障する思想・信条の自由はないがしろにされた。しかも、弾圧者は彼らをブラック・リストに載せ、映画会社に圧力をかけ、彼らに仕事を与えないようにした。「赤狩り」「現代の魔女狩り」である。
トランボ(ブライアン・クランストン)はその犠牲になった。権力に同調する保守派のスター、ジョン・ウェインや、コラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)らがトランボをハリウッドから締め出した。
ここからトランボの戦いが始まる。仲間が「裁判で戦う」というのに対し、「私は仕事で戦う」という。どういうことか。脚本家は裏方の仕事。監督や俳優と違って、表に顔を出さずに仕事が出来る。脚本は自分で書き、それを偽名で発表すればいい。「裁判で戦う」のではなく、「脚本を書き続けることで戦う」。ここが面白い。自分の能力を信じることが出来た、また、書き続ける努力を惜しまなかったトランボならばこその戦いだろう。
こうして別人の名で発表した「ローマの休日」(1953年)と、架空の人物の名で発表した少年と闘牛の友情物語「黒い牡牛」(1956年)でなんとアカデミー賞の原案賞を受賞する。
「黒い牡牛」の製作者は、フランク・キング(ジョン・グッドマン)というB級C級の犯罪映画ばかり作っていたインデペンデントの一匹狼。だから「赤狩りなんて知らないよ」とトランボに仕事を依頼する。気骨がある。
フランクが、「トランボに仕事を与えるな」と圧力をかけてきた権力側の人間に、バットを振り回し、「よけいなお世話だ!」と叩き出す場面は、この映画の痛快な見所のひとつ。
六〇年代にケネディが大統領に就任してからアメリカ国内の空気は一変する。リベラルな勢力が盛り返す。そしてついにトランボは「スパルタカス」(60年)「栄光への脱出」(同)でクレジットに堂々と自分の名前を出すことを勝ち取る。みごとな復権である。
最後、トランボが苦労時代を支えてくれた奥さん(ダイアン・レイン)を静かにいたわり、感謝するところは涙を禁じ得ない。
■文・川本三郎
※SAPIO2016年8月号