伝説となっている台湾の青春映画が二十五年ぶりに劇場公開される。
二〇〇七年に五十九歳で死去したエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の「クー嶺街(クーリンチュ)少年殺人事件」(1991年)。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)らと並ぶ台湾のニューウェイヴの監督の代表作として高く評価され、語り伝えられながら、監督が死去したこと、また、権利関係の複雑さなどから長いあいだ劇場公開されなかった。
その幻の傑作が、今回、初上映時より長い三時間五十六分版で甦る。
一九六〇年代初頭の台北のクー嶺街が舞台。当時は、国民党が強大な権力を持ち、戒厳令が敷かれていた窮屈な時代。主人公の少年スーは夜間高校に通う。家族は、中国大陸での国共内戦で敗れた国民党と共に台湾に渡ってきた。いわゆる外省人。父親は公務員だが、家は決して豊かではない。
親の世代はまだ大陸に戻る日を夢見ているが、戦後の台湾で育ったスーの世代の少年たちは、もうそんな夢は持ち得ない。国民党への帰属感もない。それでいて徴兵制があるから、いずれは兵役に就かなければならない。
息苦しい日々のなか、少年たちは、対立するグループとの喧嘩に明け暮れる。このあたりは、直木賞を受賞した東山彰良の『流』の少年たちと重なり合う。
スーは同じ学校に通う少女ミンと知り合う。ミンは貧しい家の娘。美少女なので少年たちの目を惹く。一見、清純そうだが、不良少年グループのリーダーの彼女だと知ってスーは驚く。しかし、それを知っていっそう彼女のことが気になる。
少年たちの喧嘩、学校生活、家での暮しが次々に、ぶっきらぼうに描かれてゆく。夜の場面が多いのも特色。戒厳令下の時代ゆえか。少年と少女が夜の町を歩いていると、その横を何台も戦車が通り過ぎてゆく。日常生活のなかに、普通に戦争への危機感がある。
スーの父親は、共産党との関わりを疑われ、秘密警察に連行され、取調べを受ける。職を失なうことになる。少年の暮しのなかにも、時代の厳しい空気が入りこんでくる。その息苦しさから逃がれるように少年たちはアメリカ文化に熱中する。プレスリー、西部劇、ダンス。この点は日本の戦後社会と似ている。
学校を退学させられ、将来が見えなくなったスーは、ある夜、突発的にミンを刺してしまう。自分でもなぜか、分らないままに。台湾で実際に起きた十四歳の少年による殺人事件をモデルにしているという。
◆文/川本三郎
※SAPIO2017年4月号