絶対的権力と富を手に入れた独裁者が、最後に求めるのが不老不死の肉体だ。己の命のためなら手段を選ばない。クメール・ルージュの指導者ポル・ポトの「生への執着」はどんなものだったのか。
ポル・ポトは、わずか4年間でカンボジア総人口の30%にあたる200万人以上の人々を虐殺した。NPO法人「インドシナ難民の明日を考える会」代表の永瀬一哉氏が、ポル・ポトの処刑アシスタントだった人物から得た証言を明かす。
「ポル・ポト派に捕らえられ、処刑のアシスタントをさせられていたのはリム・サロームという男性です。彼はポル・ポト派メンバーが捕虜を処刑した後、男女の区別なく胆嚢を摘出するのを目撃している。胆嚢が獲られなかったのは皮膚病に罹っていた男性だけだったそうです」
摘出された胆嚢は、二股に分かれた竹串に5個ずつ串刺しにされ、塀に立てかけられ日干しにされる。その場所は誰でも見ることができた。
「捕虜の胆嚢は見せしめとして使われるだけでなく、幹部の薬としても珍重されていたようです」(永瀬氏)
日本でも、江戸時代に処刑人を務めていた山田浅右衛門が胆嚢などを丸薬としていたことがある。ポル・ポトら上層部も日干しした胆嚢を薬として使った可能性が高い。
※SAPIO2017年8月号