「あの頃は可能性に満ちていたのに……」と、歳を重ねた今の自分を嘆く人は少なくないだろう。若いときに夢や目標に真剣に挑戦した人の中には、「自分には、かなえる力がなかった」と無念を抱いている人もいるかもしれない。しかし、生涯現役の今の時代には、挑戦するチャンスが幾度も巡ってくるもの。
「チャンスをもう一度」とばかりに、飽くなき挑戦を続けるのは、五輪2大会メダリストのアーチェリー選手であり、日本体育大学教授の山本博さん(58才)だ。
1984年のロサンゼルス五輪男子個人で銅メダルを獲得し、その20年後のアテネ五輪(2004年)で41才にして銀メダルに輝いた。「中年の星」と呼ばれ、同世代はもちろん、老若男女に夢を与えた。
「アラ還」となった山本さんは、いまも現役を貫くが、もし若い頃に金メダルを取っていたら状況は変わっていたかもしれないと話す。
「ぼくはこれまで、仕事も含めて富士山に7回登ったことがあるんです。初めて登ったときは、『頂上から、どんな景色が見えるのだろう』とワクワクしましたが、実際に登頂してみると、『こんなもんか』と満足してしまいました。
ぼくら、アーチェリー競技の選手にとって、いちばんの“頂き”というのは五輪の金メダルです。もし、ぼくが20代や30代の若いときにその“頂き”からの景色を眺めていたら、46年経ったいまも現役を続け、アーチェリーというスポーツを探求し続けていたかはわからない。もしかすると、もっと早い時期に違う道を選んでいたかもしれません。とはいえ、それはたらればの話です。いまは目の前のことに目を向けてがんばるだけです」(山本さん・以下同)
逆に言えば、若くして“頂き”へ到達しなかったからこそ、いまがあるということ。
しかし、意思とは無関係に、肉体は加齢とともに変化する。
40年以上も競技を続けてきた山本さんの体は、昨夏、悲鳴を上げた。
「勤続疲労」によって血行が滞った右腕が激痛に見舞われ、原因となっていた肋骨の一部を除去する手術を行う。すると、右手の握力は27kgまで低下したが、退院後、すぐに初心者用の弓でトレーニングを始めた。
「どんなに望んでいなくても、加齢による衰えは人間である以上、仕方ありません。しかし、肉体の変化とともに条件が変わっていくからこそ、的の真ん中に矢を打つという単純な作業に対し、探求し続けるモチベーションがいまだ維持できている。毎日の練習時には“次はこうしてみよう”と新しいアイディアを取り入れて、飽きない工夫をしています」