不屈な精神で危機を乗り越えた時にこそ、人は真のスターに生まれ変わる。昭和の時代にはそんな傑物が次々と現れ、日本人を鼓舞した。いまでは死語となりつつある“根性”丸出しのファイトで日本人の魂を揺さぶり、「炎の男」と称された元スーパーウェルター級チャンピオンの輪島功一(78)も、そんなひとりである。
1976年2月18日、東京・新宿で銀行強盗事件が発生した時、立てこもる犯人を警察官はこう言って説得した。
「自首して、あの輪島の根性を見習って人生をやり直してみろ」
事件の前夜、輪島は王者・柳済斗に挑んでいた。半年前に7回KO負けを喫した相手で、“峠を越えた”と言われていた32歳の輪島の劣勢は、誰の目にも明らかだった。だが、輪島は激闘の末、最終15ラウンドでKO勝ちを収め、2度目の王座返り咲きを果たす。この“伝説の戦い”を本人が振り返る。
「最初に負けたのは、5ラウンド終了のゴングが鳴り、こっちが手を下げて顔を出した後に柳の右ストレートを食らったから。でも柳のパンチは闘争心から出たパンチで、油断した自分が悪い。周りには『もうやめろ』『まだ金が欲しいのか』なんて言われたけど、ギャラが減ろうが何しようが、とにかくもう1回やる、と。自分がやれると思っている限りは引退したくなかった」
最愛の妻から「もう一度やるというなら、家を出ます」と言われても敢行したこのリベンジマッチに向けて、輪島は周到な作戦を練っていた。
「試合2日前の調印式にマスクをしていったの。それでトイレで柳のトレーナーと一緒になった時に、ゴホゴホッと咳をして。トレーナーはニヤッと笑って出ていったよ。これで相手は“輪島は体調が悪いから短期決戦で臨んでくる”と予想するから、こっちはその裏をかいて、長期戦のペース配分で戦った。チャンピオンになれたのは、こういう駆け引きができたから。『根性』は練習の時、試合では『勇気』を出して駆け引きをするんだよ」(輪島)
この試合のテレビ視聴率は42.5%を記録。輪島の奇跡の復活劇は、日本中を奮い立たせた。
※週刊ポスト2021年6月4日号