戦後初となる総理大臣経験者の暗殺事件がニッポン社会を大きく揺るがしている。なぜ悲劇が起きたのか、脳科学者の茂木健一郎氏が分析する。
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現代社会の映し鏡のような事件ではないか。自分の母親が関係した旧統一教会と安倍晋三・元首相につながりがあったことが殺害の動機とされている。安倍氏が関連の団体のイベントにメッセージを送っていたことなどが報じられているが、相手は日がな一日全国を駆け回っていた元総理大臣である。多種多様な人と接する機会のある安倍氏と団体の関係値はいかほどだったか。または、安倍氏の脳内円グラフの中でどれくらいの割合を占めるものだったのか――少し考えれば分かるはず。
YouTubeを見て銃を作成したという報道から考えると、容疑者はネットに出回っている情報で両者の関係性を勝手に判断してしまったのではないか。脳科学で言えば「心の理論」が薄弱だった。
心の理論とは、他者の心的状態や行動を理解する機能・能力のこと。なぜ理論と呼ぶのかと言えば、「他者」は相手の意識状態を直接は知り得ないという意味で絶対的な異物であり、その心の状態は「理論」として推定するしかないからである。だからこそ、様々な情報源や他者と接し、より正しい理論を構築することが肝要となるが、容疑者にはそれが足りなかったのではないだろうか。
一方の安倍氏は、その政治姿勢が論争の的になる人物だったが、心の理論には秀でていた。直接会った政治家の中でもその能力はトップクラスだった。そんな彼が心の理論が薄弱な者に殺されてしまったのは、非常に歯がゆい。
我々は今回の事件を教訓としなければならない。なぜなら、現代社会を生きる人々が心の理論を発達させられているかと問われれば、首肯しがたいからだ。一部分の情報を捉えて拡大解釈する風潮が瀰漫しているし、身勝手な思い込みを他者にぶつけることもしばしば見られる。ある出来事に接した時に、全体を俯瞰できる人が少なくなっているのではないか。
現代社会が抱える課題はたくさんあるが、やはり総合的な知性や教養が今ほど必要とされる時期はないだろう。そのために一人ひとりができることは何か。真剣に考えなくてはならないと思う。
※週刊ポスト2022年7月29日号