ドラマ『それってパクリじゃないですか?』(日本テレビ系、2023年)や『イップス』(フジテレビ系、2024年)の主題歌に起用されるなど、いま注目の歌手AARON。音楽活動を始めてわずか3年足らずで目覚ましい躍進を見せた彼だが、ここに至るまでには奇跡が重なった波乱万丈なヒストリーが隠されていた。初のソロライブを前に、デビューしてからの変化や「これから」について聞いた。(前後編の前編)
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──TikTokに初投稿したのが2021年8月。2022年5月からは路上ライブを始め、半年足らずで約1万5000 人以上を動員し大きな話題を呼びました。そこから1年経たずして2023年にメジャーデビュー、しかもドラマの主題歌……とまさにトントン拍子に活躍されています。この状況をご自身ではどうみているのでしょう?
「褒めていただくこともありますが、自分としては本当に葛藤でしかなくて。周りから見たら順調かもしれないですけど、思ったような結果を出せていない現状にプレッシャーを感じています。いままではシンプルに音楽を楽しんでいましたけど、メジャーデビューしたからには自分だけの意見を通すわけにもいかないし、売れる曲を作らないといけない。いろいろなかたが携わってくれている分、結果を出さなきゃという気持ちが強いですね」
──音楽活動を始めて約3年ということにも驚かされます。そもそもなぜ音楽の道を志したのですか?
「もともとはスポーツ好きな空手少年でした。最初は野球をやりたかったんですが、リトルリーグには年齢制限があるので、それまでの体づくりということで5才から空手を始めたんです。でも来年からリトルリーグに入れるっていう小3の時に空手の全国大会の一歩手前で負けてしまって。
悔しかったので翌年も、その翌年も……って続けているうち、中学1年の時には全国優勝したんです。親父との約束で日本一を取ったら空手をやめて野球をしてもいいと言われたんですが、その頃には空手をやるのもええなって思うようになっていたんですよね。ちょっと強かったので、高校進学時は全国36校からオファーが来たくらいだったんですよ」
──空手の世界でも順風満帆だったんですね。
「でもその36あるオファーを蹴って、大好きな空手の先生を追いかけて京都に進学するんです。その学校からはオファーされていなかったんですけど、特待生選考試験で活躍してその日のうちに特待を勝ち取りました。強豪選手ばかりだったので、これは自分でも奇跡だと思っています(笑い)。
そこから高校では日本代表選手に選ばれたり、大学は空手の強い近畿大学に進学したりして、オリンピックの金メダルを目指していました。ただ、大学に入って3か月くらいで稽古中に前十字靭帯を損傷してしまって……空手の道は諦めました」