問題は、私自身がDIDを体験した結果、フラットになれ、感性が高まり、人の世の多様性が認められるようになったか。
その答えは微妙なところだ。場内では誰の顔も姿もまったく見えない。声質とその意図をひたすら聞き取ろうと集中しているから、美人さんだったかどうかなど、ビジュアル的な「雑念」はものの見事に消える。そういう意味ではフラット。
感性が高まったというほどではなかったが、聴覚と触覚で得られる情報の多さや深さは実感した。暗闇だから意味がないのに、もっとよく聞き取ろうとして私はしばしば目を閉じていた。あるいは、盲目のピアニストがそうするみたいに、頭をくるくる回し動かしていた。そうすると対象物との距離感が掴めるような気がしたのだ。
他の人たちに対しては、その多様性がというよりも、初対面なのに急速に仲間意識が芽生えた。声をかけあい、意志疎通をしないと、今自分の周囲にあるモノ、おきているコトが分からないから、自ずと協力的になるのだ。
以上は予想の範囲内といえばそうだった。予想外だったのは、場外と場内で時間の流れがだいぶ違ったことだ。アテンドさんが「では、今回の体験もそろそろ終わります。これから出口に行きます」と言った時、「えっ、もう終わり?」と思わず声にした。他のメンバーも、みんなそう感じたそうだ。暗闇にいたのは80分間程だったが、30分か、せいぜい40分程度しか経っていない感覚だった。
この時間感覚の変容はなぜ生じたのか。ひとつは、それだけ場内で集中していたのだろう。時間が経つのも忘れるぐらい、瞬間、瞬間に感じ取ることが新鮮で楽しかったのだ。もうひとつは、その一方で心が安らいでいて、そこにいることが気持ち良かったからだと思う。ぬくぬくの布団でまどろんでいるとすぐに時間が経ってしまうのに近い気がする。
それともうひとつ変容があった。東京のチケット料金は大人5000円。支払時は高いと思ったが、体験後は妥当だと思えたことだ。次は感じ方がどう変わるか。私はまた視覚を使わない世界に行くつもりである。