ベトナム戦争終結40年と経済発展
今年4月30日はベトナム戦争終結40周年だった。10年以上の長きに渡って続いたあの大戦争は、40年前のこの日に終わった。かつてこの国に暮らしていたフリー・ライターの神田憲行氏が、40年目のホーチミン市を取材した。
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いやまったく、こんな時代が自分がしゃんとしている間に来るとは思わなかったな。サイゴン市内にあるビルの32階、オープンテラスのバーで打ち上げ花火を待ちながら、私はそんな想いにひたっていた。
今年は「サイゴン解放40周年」に当たる。サイゴンというのは昔のホーチミン市の名前で、「解放」というのは、アメリカ帝国とその傀儡政権を共産主義の北ベトナム政権が戦争で打ち破り、南ベトナムの人民をその抑圧から「解放」した、という意味である。
40周年の節目ということがあって、市内では大きなパレードの他に打ち上げ花火が予定されていた。そこで市内にあるビル高階層にあるオープンテラス形式のバーでは、その「花火席」みたいなのを売り出した。ウオッカの「スミノフ」が1本ついたチケット33万ドン(約1800円)を購入し、さっそくバーに入ったところ、客のほとんどが若いベトナム人だった。ベトナム人ではないのは、私と欧米系の中年のカップルぐらいだ。
カップルだけでなく、家族連れ、グループもいる。料理でいちばん安いものでも600円くらいするのだが、みんな派手に飲み食いしている。ホーチミン市の平均年収は約5100ドルという。92年に私がベトナムに住んでいたころはベトナム全体の平均年収が300ドル、ホーチミン市は1000ドルと言われていた。20年でおよそ5倍になったわけだが、統計に関しては怪しいこの国、実際はもっとあるのではないか。
女性の店員さんもピチピチの白いTシャツにピチピチのオレンジのショートパンツという「フーターズ」そっくり(というかパクッたのかもしれない)の姿で、みんな背が高い。健康的なお色気というのか、そばに寄ってこられると中年男は照れる。ここまでベトナム人の栄養が良くなかったかと、さぞや建国の父・ホーおじさんも草葉の陰でお喜びになられているに違いない。
私が住んでいたころのベトナムは貧しく禁欲的な生活を強いられていたので、まさか20年後にこんなバーで花火を見ているとは思わなかったなあ。貧しさに喘いでいた友人たちを知っているので今のベトナムを見て「昔の素朴さが失われた」などとは、全く思わない。ベトナムはもっと変わっていい。もっと豊かになってほしい。
さらにベトナムでいまブームといえば、日本旅行だ。ベトナムに行く前に旅行ガイドをしているベトナム人の友人に連絡を取ったのだが、彼は私と入れ替わりでベトナム人ツアー客を日本に連れて行くところだった。帰国した彼と落ち合い、話を聞いた。
ベトナム人に人気のツアーコースは「黄金ルート」と呼ばれるそうで、まず東京について浅草見物をしたあとディズニーランド。そのあと箱根に周り、芦ノ湖、大涌谷を観光(私が大涌谷を知らないというと、日本人としてどうかと思うと説教された)、さらに富士山に登り(!)、名古屋で泊まり(!)、京都のお寺と西陣織の見学をして(!)、大阪回って帰るのだそうだ。5日間でこれだけこなす。
「疲れませんか」
「みんなバスの中で朦朧となっています」
これでしめてツアー代金20万円、ハイシーズンの桜の季節は24万円。それでもハイシーズンには彼の会社だけでも毎週3、4本はツアー客を送り出す。定員の40人がいっぱいになることも珍しくない。ちなみに人気のお土産は資生堂の化粧品と健康食品で、
「治安が良くて安全で美味しい食べ物が多い」
というのが日本の魅力だそうだ。