要するにアメリカへの輸出量が大幅に増えないよう、上限を定めたのだ。ところが、佐藤首相は3つの密約のうち、この繊維に関する約束を反故にした。
なぜニクソン大統領との約束を秘密にして、国民にオープンにしなかったのかというと、佐藤首相が、「まったく譲歩せずに沖縄返還を勝ち取った」というポーズを取りたかったからと考えるほかない。政治家が密約を結ぶのは自らのメンツを保とうとするからだが、必ずそのツケは回ってくる。
ニクソン大統領を激怒させた日本は、数々の報復行為を受けた。中国に関する政策は日米間で事前協議をするとの約束があったにもかかわらず、1971年7月、ニクソン大統領は事前通告なしに訪中計画を発表し、日本外務省に衝撃を与えた。
さらに同年8月15日、すなわち終戦記念日をわざわざ選んで、ドルと金の兌換停止を発表。同年12月には1ドルが360円から308円に急落し、日本の繊維製品の輸出に急ブレーキがかかった。
この2つのニクソン・ショックの背景には、密約を反故にされたアメリカ側の怒りがあったのだ。さらに、のちに密約の存在が明るみに出たことで、国民の日米外交に対する不信感を増幅させた。
※SAPIO2015年9月号