東日本大震災発生からわずか1週間で営業を再開した風俗店があった。死者1万5894人、行方不明者2562人(2016年2月10日現在)という未曾有の大災害の直後にもかかわらず、普段の倍近い客が殺到。それを「不謹慎」という言葉で切り捨てるのは簡単だろう。
だが極限状態だからこそ、人は肌の温もりを求めずにはいられなかった。3月10日に発売される『震災風俗嬢』(小野一光著)には、テレビや新聞では決して語られることのないドラマが描かれている(本文中の発言は同書より引用)。
震災直後に営業を再開したデリヘル店がある。“戦場から風俗まで”をテーマに執筆活動をしているノンフィクションライターの小野一光氏は、2011年の4月上旬、被災直後の北上市のバーでそう耳にし、被災地の風俗店を訪ね歩いた。石巻市のデリヘル店は、震災後わずか1週間で営業を再開していた。
「妻子を亡くしたばかりなのに風俗なんて」と思う人もいるかもしれない。しかし肌を重ねる「安心感」や「癒やし」を求めずにはいられない極限状況もあったのだ。そして彼らと同時に風俗嬢も心を癒やされていた。石巻市に住む26歳のアヤさん。被災後は震災の影響によるPTSD(※注)に見舞われた。が、それを風俗の現場で克服しようとした。
【※注:強い精神的ショックが原因で不眠や頭痛、無力感などを起こす精神疾患】
「風俗って一対一の仕事だから人ごみに行く必要ないし、まったく平気だったんですね。そうした環境のなかで人と接していくうちに、人ごみについても大丈夫になっていったんです」
アヤさんが「おカネを持ってると、気持ちに余裕が持てるじゃないですか……」と話すように、様々な商売が停滞するなか、風俗で働くことで経済的に安心できるという側面もあっただろう。しかしそれ以上に、当時は「誰かと一緒にいる」ということがなにより心の支えになっていた。
44歳のユキコさんは津波で両親を亡くした。
「父の遺体は翌日には見つかったんですけど、母はずっとわからなくて、DNA鑑定で本人だとわかったのは八月末でした」
父親の葬儀の準備や泥だらけになった家の後片付け、母の遺体を探しての遺体安置所回り……忙殺されていた日々が一段落すると、「家に私一人がいることになり、鬱のような状態になってしまったんです」と語った。
このままではいけないと思い、客の前に出ても恥ずかしくないように、震災のストレスで太った体型を整えて、5月28日に仕事に復帰した。そしてデリヘルの仕事の中で癒やしを見いだしていった。