落合:僕は、テクノロジーは、「人間性」をどんどん切り分けてきたと思います。技術が進歩するにつれて、「ここまではテクノロジーに任せよう」という部分が増えてきたんですね。例えば、移動を車に置き換え、会って話すためには移動する時間がかかるからという理由で、電話に任せるようになった。
いま急激に進化している人工知能は、人間がどこまで自分で頭を使うか、「頭脳」「思考」を切り分けるテクノロジーです。でも「人間らしさ」が減るわけではなく、残った部分に凝縮されていくのだと思います。
岩瀬:テクノロジーとの切り分けが進むほど、いちばん人間くさいところが残っていきますね。たとえばエクセルのなかった時代は保険会社も紙と算盤で大変な計算をしていましたが、エクセル一発でできるようになった。その無駄な時間がなくなった分、ほかのことを考えられるようになりました。
落合:テクノロジーにより、その計算作業の専門家として雇われていた人は駆逐されてしまうのではないでしょうか。今後はごく少数の女王アリ的な人間と多数の働きアリ的な人間に分かれると思うのはそのためです。
岩瀬:それは、いまと同じではないのですか?
落合:構図は同じですが、女王アリと働きアリの中間に位置するホワイトカラーが激減するでしょう。そして女王アリも、意思決定を機械に委譲するようになる。
岩瀬:それはコンピュータが女王アリを支配するというイメージですか?
落合:最終権限は人間側が持ちますが、選択はコンピュータが行うでしょう。10年後には、かなりの割合でみんなコンピュータを意思決定の道具に使っていると思いますよ。
※この記事は、6月3日発売の『SAPIO』2016年7月号掲載予定記事を先行配信したものです。