2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、ジョン・スチュアート・ミルの「愚かな行ないをする権利」という言葉の意味を紹介する。
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イギリスの哲学者・ジョン・スチュアート・ミル(1806~73)は、ジェレミ・ベンサムがイタリアの法学者・チェーザレ・ベッカリーアから引用した有名な言葉「最大多数の最大幸福」に対して、「満足な豚であるより、不満足なソクラテスである方が良い」と言いました。
それは、ソクラテスの方が、より多くの選択肢から選ぶことができたからです。著書『自由論』では、ソクラテスの裁判を例にあげて、プライバシーの権利を提唱しました。これが現代の医療倫理の原則「インフォームド・コンセント」(情報を知らされた上での自己決定権)の基になっています。
ソクラテスの裁判は、非の打ち所なく正当で、かつ民主的でした。しかし、多数決が必ずしも良いとは限りません。ミルは「そのときまでに生まれてきていたすべての人々の中で人類から最大の待遇をうけるべき人物に対して、犯罪者として死刑に処すべきであると有罪の宣告をしたのであった」と書いています。
ミルの『自由論』をまとめると、「判断能力のある成人は、自己に所属するものごとについて、他者に危害を加えない限り、たとえ自分が不利になる選択であろうとも、自己決定権を有する」となります。
自分が不利になる選択は愚行権とも呼ばれますが、ソクラテスも裁判で自ら死刑の判決を受けるように行動しています。これが愚かな行ないであったかどうかは、その後の歴史が明らかにしています。ミルは「それ以後世に出てきたすべての卓越した思想家たちの師と認められている人」と評価しています。
ソクラテスは裁判の最初に、本当の告発者は「風説を広めた人たち」だと言いました。ソクラテスは「その思想で青年を腐敗させている」と告発されたのでした。子供を教育して出世させたい親にとって「良い人になるための教師」は邪魔だったのです。