【仇討ち3】「元禄赤穂事件」(1702年)
今も昔も、年末年始の大作ドラマといえば忠臣蔵と相場が決まっている。主君の仇を討った忠義の士たちの物語が、なぜここまで我々の心をつかむのか。それは、仇討ちが日本人にとって美徳であり美談として語り継がれてきたからに他ならない。己を犠牲に、忠義を貫き通す姿に、我々は儒教の精神の一端を垣間見、美しさを感じるのである。
「この事件が直接、歴史を動かしたとは言えませんが、“忠君愛国”の手本になったことは間違いありません。赤穂事件について幕府は『主君の仇討ちではない』と公式見解を示しましたが、幕閣である老中の中には、『赤穂浪士の行為は武士道に相応しく、立派な忠義者である』とし、助命を希望する者もいました。
本来であれば、幕府の裁定が終わっている事件を蒸し返すような実力行使は許し難いことです。しかし、時の将軍・徳川綱吉も“忠義”を貫いた赤穂浪士を内心では評価していた。赤穂浪士に斬首ではなく、“切腹”を言い渡したのは、彼らの誇りを守るための温情裁定だったのです。
実際には忠義というよりも武士の面子を立てるための行動でしたが、赤穂浪士が大義のために自分の身を犠牲にしたことが、今なお多くの日本人にとって魅力的に映るのではないでしょうか」
◆監修/山本博文(東京大学教授・歴史学者)
◆取材・構成/HEW(大木信景、浅野修三)
【PROFILE】やまもとひろふみ/1957年年岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。文学博士。東京大学史料編纂所教授。主著に『流れをつかむ日本の歴史』(KADOKAWA/角川学芸出版)、『武士道の名著』(中公新書)、『忠臣蔵の決算書』(新潮新書)など多数。
※SAPIO2017年1月号