「当時は、とにかく激しく生きていって、それで切れればおしまい。若者にとってそういう時代でした。それで親から勘当される覚悟で学校を辞めました。でも、踊りで食っていこうということじゃなかったんですよね。
舞踊史というものに興味を持ったんです。いろんな国に民族創生の神話があるのですが、そのどれにも『おどり』は出てきます。書物になるということは、それより遥か昔から『おどり』は存在したということです。それでは、書物のない、言葉で意味付けされていない時代の『おどり』の始まりはどうやったら知ることができるのか。僕はそこに一番興味がありました。
感情表現は言葉の裏付けがあるから、僕にとってまだ『おどり』ではありません。赤ちゃんが何か伝えようとするけど、何を要求しているか分からない時の動作。そういうところに『おどり』を考えるヒントがある。だから見る人によって感じることの個体差が出る。それでこそ『おどり』だと、僕は思います。
『おどり』が他の表現と異なるのは、身体が伝統を担っていることです。型ではなく身体が伝統。能や歌舞伎の伝統には型という器がありますが、『おどり』には身体以外に寄る辺はありません。本人が意識しようがしまいが、身体を継承することで『おどり』は繋がる。自分の中にどう眠っているのかを一人一人が探る可能性を持っている──。それが『おどり』です」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
●撮影/五十嵐美弥
※週刊ポスト2018年3月2日号