このことは当時、日本のメディアでも報道された。碑は現在、彼女の志に共感するさる尼僧の配慮で、ソウル近郊のお寺(龍仁市・法輪寺)の境内に横になって“安置”されている。
手記『夢のあとさき』には彼女の夢から始まるコトの顛末が詳細に書かれ、日韓双方の善意と協力の結晶が一瞬にして砕かれ、そうなると誰もそれを押し留められない韓国の「反日」の現状が克明に記されている。反対のきっかけは地元市議会の反市長派が「議会(市民?)を無視している」といいだしたことだ。彼らは反日・民族団体の「光復会」と通じ「親日売国奴の特攻隊を称えるのはケシカラン」という反日・愛国論で反対を扇動した。
黒田福美は「韓国人たちは反日という柵の中に囲い込まれている羊の群れのようだと思う。(中略)光復会に対して意見をしたり、いさめたりすれば直ちに『親日派』というレッテルを貼られて柵から追い出され、社会的に抹殺される。だからだれもが『身を縮めて黙ってうつむく』しかない」と嘆き、さらに「韓国社会が『親日的』とされる言論を封殺し、地位を奪ったりして、人々を社会的に抹殺するようなやり方を止めないかぎり、韓国の言論も社会も成熟しないだろう。このことは韓国人自らが気づき改めないかぎり実現することはない」という。
彼女は反日団体に物いえない韓国の現状を「北の首領さまの粛清を恐れて忠誠心を表す人民のようだと思うことがある」と書いている。韓国社会は親韓・韓国通の黒田福美にそんなことまで思わせてしまったのだ。
●文/黒田勝弘
【著者PROFILE】1941年生まれ。京都大学卒業。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長を経て産経新聞ソウル駐在客員論説委員。著書に『決定版どうしても“日本離れ”できない韓国』(文春新書)、『隣国への足跡』(KADOKAWA刊)など多数。
※SAPIO2018年3・4月号