──老いに寄り添ってあげることが猫にとっては良いのですね。
南里:老いは病気ではないので、治すことは無理ですよね。その認識が人間側になく、病気と同じように再生の治療をしてしまうと、猫は大変です。お薬、点滴……といろんなことをしますよね。人の介護でも、死に至る経過での点滴は本人にとってかなりの苦痛と言われますが、それと一緒です。たとえば猫の強制給餌は、胃ろうに近いのではないでしょうか。
元に戻そうと努力するのではなく、それを受け入れて、その状態が快適になるようにこちらができることを工夫する。老猫との生活は、キュア(治療)よりもケア(介護)の比重を増やしていくことが大事だと思うのです。その方がより良く自然に、苦しみが少ない死を迎えていると、これまでたくさんの猫を見てきて感じました。
──人間に置き換えて考えてあげることが大事ということですね。
南里:延命を選ぶか、老いとして受け入れるかは、その猫によって違ってくると思います。まだ壮年期で治したい意識がある猫は、病院も嫌がらずキャリーケースに自分から入りますが、薬がいらなければ吐き出してしまうこともあります。彼らはサインを出してくるんですね。それを感じ取れないと、どうしても獣医さんや一般常識の言いなりになってしまいがち。しかし、それで本当にいいのだろうかと思います。
今は、具合が悪くなったらすぐ動物病院という風潮がありますが、ひとつの大きな風潮にだけ流されてしまうのはとても危険だと思うんですよ。それって考えなくて済むし、自分もそうすることで満足できる。しかし、当の猫はそれを望んでいるかということです。どうも今は人間側の思惑だけで進めているように感じます。どちらがいい悪いではなくて、まず自分で考えて猫と会話をしてみましょうと提案したい。ただそれだけです。猫たちを看取る中で、コントロールされた猫たちの逝き方と、それを手放して猫たちに任せて逝った場合とでは、最期がだいぶ違うので。
◆ひとりで猫と暮らすということ
──シッティングを頼む人の半数が独身とのことですが、ひとり暮らしで猫を飼う人は増えていますね。寂しさは薄まりますが、その分、ひとりきりで看取ることでペットロスはより大きくなるのでは…
南里:それはありますね。完全室内飼いの今は猫が自ら最期の姿を隠すことができず、人は病院で死んでいくのに猫は自宅で看取らなきゃいけない時代で、死を目の当たりにして「慌てるな」とか「動じるな、悲しむな」というのは無理だと思います。「今目の前にいる元気な猫がいつか死ぬと思うと、悲しくてしょうがない。想像しただけで泣いてしまう」という声もよく聞きます。でもそれはそのときになってみなければわからないし、答えはひとつじゃないというか、正解はないものですよね。ですから、普段から猫のことを話し合える人間関係を築いておくことをお勧めしています。