同月二五日未明、庄内藩兵を主力とする旧幕府軍約二〇〇〇人が三田の薩摩藩邸を包囲して、邸内に潜伏する不逞浪士たちの引き渡しを要求した。いわば最後通告である。これに対して薩摩藩邸では時間稼ぎに出たことから、旧幕府側はもはや話し合いによる解決は不可能として戦闘の開始を発令。約四時間に及ぶ戦闘の末、薩摩藩邸を制圧するが、薩摩藩士たちが身を犠牲にして時間稼ぎをしている間に、不逞浪士たちはみな品川沖に停泊していた薩摩藩の船に乗り込み、西へと逃走していた。
これにより江戸城の留守居役たちは若干溜飲を下げたが、それこそ薩摩藩の思惑通りだった。
事件の顛末が大坂へ伝えられると、会津藩や桑名藩など旧幕府側の士気は大いにあがり、薩摩藩を討つべしとの声が高まった。慶喜にはもはやそれを抑えるだけの気力もなく、事態は鳥羽・伏見の戦いへと進むのだった。
※島崎晋・著『ざんねんな日本史』(小学館新書)より一部抜粋
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『日本の十大合戦 歴史を変えた名将の「戦略」』(青春新書)、『一気に同時読み!世界史までわかる日本史』(SB新書)、『知られざる江戸時代中期200年の秘密』(じっぴコンパクト新書)など多数。