この本の重要な点は「嫌悪という差別」ではなく「性的魅力という差別」を描いたことである。これもまた偏見による“誤った長所”だ。日本に滞在するアフリカ人男子留学生がしばしば不快感を口にするのは、日本人女性から好色な目で見られることである。

 リボウには『ホッテントット・ヴィーナス』という好著もある。ホッテントットとはコイコイ族の通称・蔑称である。彼らの言葉が白人にはそう聞こえた。ヴィーナスとは、むろん美神の名だ。この二つを合わせた皮肉な「ホッテントット・ヴィーナス」と呼ばれた女性サラの悲劇の物語である。

 サラはアフリカからヨーロッパに連れて来られ、見世物小屋に売られた。また、生物学者らの知的好奇心の対象にもなった。それは主に張り出した臀部と肥大した性器に対するものであり、そこには大形猿類の発情期の徴候との類推があった。しかもサラは人柄が優しく、オランダ語を難なく話す知性もあった。残酷な運命に苦しんだサラは、死後博物館の標本となった。いや、自分の意志によるものではないから、標本にされたのである。サラの遺体は今世紀に入ってやっと故郷に還った。

 こんな諸例を見ると「知の特権」なるものは知の特権ではなく「強者の特権」にすぎないことが分かる。アイヌが和人の墓を発掘調査し、黒人が白人の標本を博物館に陳列して、初めて本当の知の特権が行使されたことになる。知は普遍の類義語のはずではないか。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

※週刊ポスト2019年10月11日号

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