しかし、1996年に新宿駅発着だった埼京線の運行区間が渋谷駅・恵比寿駅にまで拡大したことで事態は一変する。
池袋・新宿・渋谷といった副都心を結ぶ埼京線は、通勤の足として埼玉都民に重宝された。旅客列車として運行される埼京線は、貨物列車とは比べものにならないほど運転本数が多い。朝夕のラッシュ時、この踏切は頻繁に遮断されるようになる。こうして、青山街道・厩道の2踏切は、いわゆる開かずの踏切化した。
「こうした事態が起きることは、埼京線の運転区間が拡大する前から予測されていました。渋谷区議会は、開かずの踏切問題を黙認していたわけではありません。埼京線の運行区間が渋谷駅・恵比寿駅まで延伸された1996年、区議会は運輸大臣(当時)に『JR埼京線代々木駅付近踏切に係る要望書』を提出しています。その後、1998年には東京都へも要望書を提出しました。青山街道踏切・厩道踏切の両踏切について、積極的に立体交差化を働きかけていたのです」と話すのは、渋谷区議会調査係の担当者だ。
要望書は、行政庁に提出するのが通例とされる。そのため、渋谷区議会は手順に則って運輸省や東京都へ要望書を出した。
渋谷区や区議会の思いとは裏腹に、2001年には湘南新宿ラインが運行を開始する。湘南新宿ラインは埼京線と同じ線路を走るため、青山街道・厩道の両踏切の遮断時間は、さらに長くなった。開かずの踏切は、解消するどころか逆に深刻化してしまう。
行政庁だけに要望書を出していてもラチが開かないと判断した渋谷区議会は、ついに運行事業者のJR東日本にも要望書を提出。
「青山街道と厩道の両踏切は、地形的な面から歩道橋の設置が難しい状況です。そうしたことも踏まえて、2001年に渋谷区議会はJR東日本に対して、当該区間を地下化するように要望書を提出しました」(同)
当該区間だけを地下化するという渋谷区の要望は、JR東日本の事情を考慮すれば非現実的ともいえる内容だろう。そうしたこともあって、要望書の効果はなかった。
それどころか、追い討ちをかけるように2002年には埼京線が大崎駅まで延伸。この延伸によって東京臨海高速鉄道りんかい線も走るようになり、青山街道踏切と厩道踏切を通過する列車はさらに増加した。
こうして、渋谷区議会は打つ手がなくなる。以降、区議会で青山街道と厩道の踏切問題は議題にあがらなくなった。
膠着状態になっていた青山街道・厩道の問題は、相鉄の乗り入れを目前にして再燃する。2019年9月に開かれた渋谷区議会の定例会で、改めて開かずの踏切問題が取り上げられることになった。
相鉄の東京乗り入れは、アクセス面で利便性が向上することは間違いない。その一方で、開かずの踏切という問題が放置されたままになっていることを浮き彫りにした。
相鉄の乗り入れが始まろうとしている中、両踏切が深刻な開かずの踏切と化すことに行政も鉄道事業者も抜本的な解決策を見出せていない。