コロナ禍は定職のある者とない者との差をまざまざと見せつける。いつ終わるともわからないコロナ禍、無職だったり今年の上半期に失業した人たちで経済的に余裕のない層は確実に悲惨だ。食い詰めても帰れる実家があれば御の字、現実は非正規を中心に多くが孤独な経済的困窮に苛まれている。年末に向けて景気の悪い業種や企業の正社員はさらに整理されることになるだろう。早期・希望退職の実施を開示した上場企業は2020年上半期(1-6月)だけで41社に達した(東京商工リサーチ調べ)。レオパレス、ファミリーマート、ノーリツ、リクシル、ラオックス、オンワード、レナウン、日産、三菱自動車、ワタベウェディング ──以前から経営の苦しい企業やインバウンドに支えられた企業、ソーシャルディスタンスと言われても業態上、対応が難しい接触型業務の企業が音を上げた形だ。正規職だけではない、いまサラリーマンが失業しても、食いつなぐための非正規バイトすら外国人や年金不足の高齢者との競争で十分なシフトに入れない事例も増えている。
「そういう連中に比べれば自分、恵まれてるじゃないですか、そういう幸せを感じるんです」
幸せの自己確認が悲痛な求職者の履歴書、というのは極端な言い方だろうか、そんな感情、仏教で言えば「増上慢」(おごり高ぶった性根のこと。阿毘達磨倶舎論)とでも言おうか、矢野さんを責める気はないがこのコロナ禍、とくにサラリーマンに垣間見えるのは「私も失業するのでは」「私も貧しくなるのでは」というより、「私は正社員でよかった」「私は景気に左右されない仕事でよかった」である。それまでも「私は公務員でよかった」「私は地主の子でよかった」「私は大金持ちに生まれてよかった」なんてのは存在したが、ついに安定した定職があるだけで「私は~でよかった」とコロナ禍の失業者、貧困者を見下す層が出現した。これは完全な私の印象だが、同じような苦しみを味わった氷河期世代より、少子化による恩恵を受けた現在の若手サラリーマンに顕著だ。実際に会った彼らの多くは「自助」が当然という勝ち組意識であった。”思い上がり”と言ったら言い過ぎか。このコロナ禍で私はあらゆる業種、階層の人たちを取材してきたが、実は一番変わったなあと思うのがサラリーマン全体の新たな階級意識であり、それはコロナでよりいっそう加速したのではないか。
「でもしばらく採る気はないです。私の楽しいゲームが終わっちゃいますから」
「面接官」って、いい響きですよね
社長や上司、先輩にも気に入られている矢野さん、弟のように可愛がられているそうだ。小さな会社は合わなければ部署替えもままならず地獄だが、会社が合えば、というより社長に気に入られればどうとでもなる。少子化により多くの企業で若い子が優遇され続けているのはコロナ禍でも変わらない。だがそんな話、どうでもいい。問題は多くの必死な求職者に無駄骨を折らせ、面白おかしいゲームとして楽しんでいる矢野さんの姿勢だ。
「いや、ウチだけじゃないですよ。たとえば職安なんか採る気もない求人ばっかりでしょ。私も昔、職安経由でそういう面接に遭いましました。あからさまに適当でした。おっさんは圧迫面接を露骨に面白がってました。男のくせに短大かよ、とか言われました」