プロ野球の近鉄で現役時代は捕手として活躍し、引退後は近鉄、日本ハム、楽天で監督を歴任した梨田昌孝氏(67歳)。昨年3月に新型コロナウイルスに感染し、重症化して一時は集中治療室(ICU)で治療を受けた。幸いにも一命を取り留め、同5月に退院したが、その後も長く「後遺症」と思われる症状に悩まされていることを『週刊ポスト』(2月8日発売号)のインタビューで明かした。
梨田氏が体調の異変に気付いたのは昨年3月25日のことだった。体のだるさを感じ、体温を測ると37度あった。4日後の同29日には味覚障害を感じ始め、翌日には熱が39度まで上がる。病院へ向かったが、どんどん息苦しさを感じるようになった。救命救急センターに転送され、ICUで人工呼吸器の装着が必要になるまでに容態は悪化する。
翌31日のPCR検査で陽性となり、「急性呼吸窮迫症候群(ARDS)」と診断された。幸いなことに投薬治療で症状が改善し、4月14日には人工呼吸器が外れる。5月に入って一般病室に移り、退院して自宅療養を始めたのは5月20日のことだ。入院生活は50日間に及んだ。梨田氏が振り返る。
「集中治療室を出た時は、想像以上に筋力が落ちていました。2週間ほど意識がなかった状態を含め、ベッドに寝ているだけの日々が3週間くらい続いた。もともと100kg近くあった体重は16~17kg減りました。(体が)ペラペラでしたね。バランス感覚、平衡感覚もなく、歯茎までやせていた」
◆スマホが重くて持てない
想像以上の「筋力の低下」は、元プロ野球選手として60代後半になっても体力には自信があっただけにショックが大きかったという。
「一人で起き上がって座ることもできず、スマホでさえ重くて持てない。こんな重いモノを持って電話をかけていたのかと驚きました。自信があった握力もガクッと落ちていた。コロナになる前は70kgくらいの握力がありましたが、ペットボトルのキャップですら開けられないんです。指で押して錠剤をシートから出すこともできない。こんな状態から社会復帰できるのかと凄く不安になりましたね」
当初は声もうまく出せなかったという。
「人工呼吸器を入れていた時に長く喉を動かさなかったためなのか、気道が塞がって炎症などを起こしていたのか、原因はよくわかりません。自分は低音の渋い声だと思っていたんですが、喉がくっついたような感じで高い声しか出なかった」
梨田氏は声の変調について「コロナというより人工呼吸器をつけていた関係での後遺症ではないか」と振り返るが、飛沫感染するというコロナの特性上、ICUから出たあとも病室に人が長くいる状態は忌避される。他人との会話する機会がなかなかないので、部屋で一人の時にテレビをつけ、ゲストに質問するアナウンサーの声などに応答して、“声のリハビリ”に取り組んだという。
週刊ポストでは、〈コロナ後遺症 いま分かっていることのすべて〉と題した大特集を組み、様々な後遺症を経験した感染者の声、専門医によるメカニズムなどの解説、現段階で注目されている改善法などを詳報した。同特集では梨田氏も、PCR検査で陰性となって退院したあとに「脱毛」などの後遺症を体験したことを明かしているが、それ以外にも後遺症と思われる症状は多岐にわたったという。
「原因ははっきりしないのですが、コロナから回復したあとに不整脈が出ました。毎年受けている検査では一度も指摘されたことがなかったが、ICUから出たあとの検査では、かなりの不整脈があると言われました。コロナが原因なのかとドクターに聞いても、一概には言えないとの答えだったので、やはりまだわからないことが多い病気なのでしょう。結局、電気ショックの治療を受けたことで不整脈は治りました」