そういうふうに攻撃しておいて、自分のことは〈天才です〉と冗談だか本気だかわからないが、周りとは違う人間であると規定する。『リンダリンダ』のザ・ブルーハーツが〈ドブネズミみたいに美しくなりたい〉と希求したような、外れ者の懸命さはない。それで問題はないと、開き直りさえする。
べつに昔のアウトローソングのほうが良かったとか言いたいわけじゃないが、なんだか不健康なのだ。閉塞した会社や仕事や上司との関係にいろいろな不満はあるのだけれども、自分からそれを変えようとするでもなく、何もできない自分を見つめるでもない。逆に、自分は凡庸な周りと違って特別な存在なんだと言わんがばかりに、〈うっせぇうっせぇうっせぇわ〉というマイナスオーラ全開の呪文を唱え続ける。
曲調は先端的だけれど、この歌にキャッチコピーをつけるなら「社畜の怨歌」である。しかも、自分を一段高いところにおいた目線での恨み節。これって、だいぶダサくないか。少なくとも私はちっとも共感できない。
子供たちにこの歌が受けているのは、そこまで歌詞の意味を考えてのことではなく、単純に曲が頭に残りやすく、Adoの歌いっぷりが魅力的だからだろう。また、学校生活や家庭の中はまさに「うっせぇうっせぇうっせぇわ」と言いたくなることだらけで、この歌を聞いたり自分で歌ったりすると、多少なりともスッキリするからだろう。
ただ、若い社会人がこの歌に共感しているとしたら、お前いつまで中二病患ってるんだ、と言いたくなる。カラオケランキングで上位にあると書いたが、若い大人がこの曲を熱唱して、社畜としてのフラストレーションを発散している姿を想像すると、あまりぞっとしない。何をつまんない自己愛撫してんだ、と一喝したくなる。
『うっせぇわ』は、顔出しをしない謎の女子高生の歌として知られているが、作詞作曲もそのAdoがしたと勘違いしている人がけっこういるようだ。作詞も作曲も手掛けたのは、syudouという男性アーチストである。個人情報の多くを非公表としているのだが、年齢はおそらく20代後半。大学を出た後に就職し、音楽の道で食えるとわかった2020年までは会社員であったらしい。
これだけの歌を作れる人間なのだから、周りが凡庸な連中に見えていたとしても致し方ないかもしれない。自分を天才だと言うのも、そうなのかもしれない。けれども、その自意識のあり方が成り立つのは、図抜けた音楽の才能があってこそ。一般のリスナーはそれほどのものを持たない。ということに、syudou氏はどこまで自覚があるだろう。リスナーの顔がどれだけ見えているだろうか。
野暮で余計なお節介だが、メッセージ性がある歌だけに、歌詞がやっぱり身勝手でダサいですよ、と申し上げておきたいのだ。