「情熱」は有限である
37歳になってつくづく感じるのは、大人になると自由な時間が減っていくことです。私は2歳の子供がいて育児もしています。自分が人生における主役の時間は減っていき、脇役になります。それはそれで、楽しいんですが。今後は弟子も出来るでしょうし、自分の時間は自分だけのものではなくなるんですね。あと情熱、行動力は若いうちは無限にあると思っていましたけど、歳をとりますと、段々と疲れてきたり、体の燃費が悪くなっていきます。37歳でもそうで、こういう風な変化は、100%自分の時間を自分で使える時代は、気づかないんです。
この歳になって私が若者にアドバイスしたいのは、「今の君の情熱や時間は無限ではなく、実は有限だから、若いうちに情熱を燃やせるものにアプローチしたほうがいいよ」ということです。
私は大学生の頃、池袋の新・文芸坐に年中通って、オールナイト映画の4本立てなどを見ていました。深夜に目薬をさしながら旧ソ連のわけのわからない映画を8〜9時間ぶっ続けで鑑賞していましたが、今はとてもじゃないけど体力的にムリです。
それでも当時は、自分の将来のために必要なことであると思っていたし、今考えると全く必要はなかったんですが(笑)、ああいう時間の使い方は非常に貴重だったと思います。今は講談の稽古ひとつとっても子供もいるし、ほかのいろいろな仕事もあるので、稽古に注げる時間が少ない。でも入門したてや前座の4年間は楽屋仕事をしながらも稽古に集中して、完全に講談だけに向き合うことができる尊い時間でした。逆に今は、少ない時間で集中することも学びました。これまた贅沢な時間ですし、全部含めれば、それは講談の厚みにもなるんでしょうね。
大学を卒業してこの世界に入った時、「講談は何でこんなに面白いのに過小評価されているんだ。世間の奴らにこの面白さを知らしめてやろう」と思っていました。生意気ですね(笑)。きれいな言葉でいえば、「講談の魅力を伝えたい」となりますが、実際には、日本の大事な芸能を蔑ろにされていることへの強い怒りが原動力でした。若者にはある種の純粋さや無鉄砲さがあり、それを活かしてポジティブに前に進んでいける強みがあります。
もっとも、私は37歳になっても若者と同じように不安だし、先行きも見えていません。コロナで演芸界もどうなるかわからないです。ですから多少歳をとっても、不安は変わらないんですね。