今年は有観客で開催されるNHK紅白歌合戦。司会を紅組白組で区別せず、単なる“司会”に統一するという変化もあった。司会といえば、では、紅白が高視聴率を誇った昭和の時代に、歌手と司会の両方で活躍したのが、水前寺清子だ。水前寺が当時の思い出を振り返る。
1965(昭和40)年の第16回に『涙を抱いた渡り鳥』で初出場して以来、歌手として22回連続出場した水前寺清子。紅組司会も4回経験し、昭和の紅白を支えた立役者の1人だ。
「デビュー1年目で紅白に出場できると聞いたときは、驚き、感動しました。大晦日の数日前から音合わせとリハーサルが始まりますが、とにかく気持ちが舞い上がっていました。楽屋は男女別に4〜5人くらいずつに分かれていたと思いますが、緊張しすぎて何をどう過ごしたか、お弁当が出たのか食事をしたのかも、記憶にありません。ただ衣装は、楽曲に寄り添った衣装にしたいと、こだわって考えましたね」(水前寺・以下同)
1979年紅白では、優勝に導いた紅組司会者として胴上げをされている。また同年は、結婚・引退を控え、最後の紅白となった山口百恵さんの曲前に、「三浦友和さんとの愛を告白し、いじらしい乙女心も見せてくれました」と、心のこもった曲紹介を行った。
「最初に『司会をしたら歌は歌えないの?』と不安になったのを覚えています。初司会では緊張しすぎて、選手宣誓の際、昭和43年を34年とミスしちゃいましたね(笑い)。
私が初出場したときに素晴らしい曲紹介をしていただいたので、自分が司会者になったときは、それぞれの歌手がいちばん言ってほしいことを事前に取材したんです。
当時は“絶対に紅組優勝”と、とても勝ちにこだわっていましたが、いまは紅白に分かれても仲よしですよね(笑い)。ただ、勝負にはこだわってほしい! 勝負にこだわれば、歌手の皆さんの気持ちももっともっと上を向くし、最高の歌い納めになると思います」
【プロフィール】
水前寺清子/1945年、熊本県生まれ。1964年デビュー。最新アルバム『水前寺清子全曲集~真実一路のマーチ・三百六十五歩のマーチ~』が発売中。
取材・文/北武司
※女性セブン2022年1月6・13日号