警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、ロシアの侵攻により、日本へ避難してきたウクライナ人家族の苦悩や、ウクライナ人同士で生まれる“温度差”について。
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都内の外国人クラブで働くウクライナ人女性たちの元には、祖国ウクライナとロシアの戦争により、家族が日本へ避難してきている。なんとか国を脱出できた家族が持ってきた荷物は、ほんのわずかだ。色々なモノを捨てて逃げてきた彼らは、親しい人に“さよなら”も告げず出てきたという。
その時の様子を聞いた外国人クラブのオーナーA氏は、「友人知人、親戚には何も言わずに家を出たという人ばかりだった」と話す。
「彼らは、昼間は一つ所に集まって『ここでみんなで頑張ろう! なんとか全員生き残ろう』と励まし合っているのに、その夜に脱出するとは言えないのでしょう。国を捨てる、家を捨てる、逃げるという恥ずかしさと、『裏切り者』と言われるかもしれない怖さが彼らにはある。列車はどの駅から出るのか、出発時間はいつか、荷物の制限は、ペットは、など必要な情報を得るため、知らない人同士がSNSでやり取りするだけ。脱出する前に友人や親せきにメールや電話をしたという人はいないそうです」(A氏)
脱出用の列車は夜に出発。ロシア軍に見つからないよう列車内に明かりはない。画面が光るためスマホも禁止だ。そうして安全な場所に到着して、もしくは出国して始めて、彼らは周囲の人たちに連絡をするのだという。列車の中でスマホが使えなかったからではない。伝えることが、伝えた時の相手の反応が怖いのだ。
「安全な場所へ逃げた彼らへの妬みからか、『何で言ってくれなかった!』、『何で私を誘ってくれなかった!』、『裏切り者』と責められた人もいたようだ」(A氏)
自国の状況を巡り、A氏が知るウクライナ人の間では微妙な温度差もあるらしい。ドネツク州出身の女性は「ドネツクが内戦になったのに、他の州は知らんぷりしていた。ようやくみんな戦争の怖さが分かったのでは」と冷ややかだという。ドンバス(ドネスク州やルハンスク州)では、8年前からウクライナ政府軍と分離独立派による内戦が続いていたからだ。