「覚悟もなく子供を産んだ、というと言葉は乱暴ですが、母親にこれからなっていく花野と、それを見守る宙が互いに成長する姿を、私も見てみたかったんです。私が小説家を志したのは28歳の時なんですが、当初は娘達に我慢を強いることも多くて。『ママ、聞いて』と言われても『ごめん、もうちょっと書かせて』とか、親の夢に付き合えと強いること自体、暴力ですよね。
でも本屋大賞を戴いた時に、子供達は小説こそ読まないけれど、『ここまで頑張ったママは凄いしカッコいいし、応援する』と言ってくれた。そんな我が家なりの新しい関係を、行きつ戻りつしながらも築けたこと。そして人は幾つでも成長できるし、変われるんだという体感が、本書の根底にもあります」
作中でも親が子を一方的に支える従来的な関係とは違い、その時、支えられる人間が年齢や血縁も抜きに支える双方向性が印象的だ。
例えば件の授業参観の日、帰るなり食事に連れ出され、年の離れた恋人〈柘植〉を紹介された宙は、柘植と佐伯が鉢合わせしないよう画策。しかし、結果的には花野と口論になってしまい、〈あー。やっぱ、無理だわ〉と頭を抱えた母の呟きを〈わたしのこと無理だって言った〉と聞いてしまう。
その関係を修復したのは佐伯で、彼に特製パンケーキの作り方を教わった宙は、それを誰と食べるかで美味しくもまずくもなることや、弱さや淋しさを大人もまた抱えて生きていることに、少しずつ気づいていくのだ。
抑圧する側の視点も描きたい
幼くして母親が男と逃げ、祖父母に酷い扱いを受けた花野や、姉と自分を比べ、より多くを求めがちな風海。また宙が成長過程で出会う友達や彼氏やその家族にもそれぞれ事情があり、その何が悪と特定できないほど複雑で抑圧されたあり様は、ほっこりなどとは程遠い。
「よく言われます。抉られたとか、刺さるとか。ただ、この種の苦しみを私は意識的に書いてもいて、弱者の側に寄り添う一方、抑圧する側の視点もできるだけ描けたらと思うんです。虐待せざるを得ない人なりの理由があったり、それしか愛し方を知らない人がいたり、その人がなぜそうなったかまで書きたい。そしてその過酷な泥沼から立ち上がる瞬間や気づきを、読者の明日に繋がる物語に書いて、伝えていきたいんです」