東京・歌舞伎町でホストをしていた藤山さんが、家業を継ぐと決心して鹿児島に戻ってきたのは26才のとき。牛を成育するだけでなく、父・徹さん(74才)と同じ牛の人工授精師としても働く。この日も、朝から「4軒で8頭、授精してきました!」(藤山さん)と大忙しだ。
牛の発情のタイミングもいまではデータでしっかりと管理されているとはいえ、朝も晩も、土日も関係ない。それでも自分が飼っている牛たちへの声がけやブラッシングは欠かさない。日本一に輝いた「てるはな」にはまるでエステのようなマッサージを丁寧に行っていたという。牛とともに生きる藤山さんには「和牛はこれからさらに進化する」という確信がある。
「海外の人もおいしいといってくれて和牛の価値が高まっているのを感じます。自分たちが心血注いで育てた成育技術がしっかり守られる法整備も整えてもらった。ますますよい牛を育てますよ!」(藤山さん)。
牛が牛らしく育つように
母・娘・孫娘の3頭の牛をセットで出品する5区で優勝した87才の宮園春雄さんの自宅に行くと、案内されたのは裏庭。宮園さんが飼育している5頭の牛とその子供たちがのんびりと佇んでいた。
「昼間は必ずここに出しておく。自由に過ごさせてやるんです。夕方になると牛舎に戻すけど、みんな自分で自分の部屋に戻っていくよ。だから力を入れて引っ張ったりする必要もないですよ」(宮園さん)
5頭という少ない飼育頭数で、3頭の受賞という快挙にも「牛がやったことだから」と言葉少な。それでも「60年超の積み重ねでようやくここまで来た。決して大きくない牛小屋から日本一を取れたことは感慨深いです」と話す。農業従事者の高齢化は鹿児島県でも進むが、年齢に負けずに手間を惜しまず、愛情をかけて高品質な牛を生産する農家がたくさん存在するという。
スーパーエリートの一生
そして優れた牛を生み出すために鹿児島県が力を入れているのが“スーパーエリート”の種雄牛だ。せり市でも血統が重視されていたように、「どの父親の遺伝子を継いでいるか」はかなり重要だという。種雄牛となる雄牛の精液を採取、保管する設備を備える鹿児島県肉用牛改良研究所の西育種改良研究室長が話す。
「毎年5万頭ほどの雄牛が生まれますが、遺伝的に優れた牛で種雄牛の候補となるのは年間14頭ほどです。県内には秀でた血統を持つ育種牛という牛たちがいますが、その牛に子供が生まれると様子を見に行き、素質があれば生後5~6か月ほどで研究所に連れてきて育てます。
そこから成長の様子を見て、種牛として育つのが年間14頭ほどということです。種雄牛となった牛は週に2回ほど、雌牛に見立てた疑牝台にまたがって精子を採取されています。その評価は、人工授精で生まれた子牛の状況や肥育した枝肉の結果(肉量・肉質)が基準以下であれば、去勢されて肉用に転用されることもあります」
ステーキ、焼き肉、すき焼きと私たちの食卓に並ぶ牛肉には「安心安全でおいしいものを」という生産者の思いが込められている。