昭和の時代に女子高生が「浪人」を決意
「浪人したい」と父親に言うと「お前がそうしたいならそうしろ」と意外なことに反対されなかった。女子の4年制大学進学率2%の時代に、浪人する女子高生がどれだけいただろう。「しっかり勉強するいい機会かもしれない」と前向きに捉えた。
1960年春、敬子は浪人生活に入った。当時、横浜市内には目ぼしい予備校がなかったため、御茶ノ水まで通学した。周囲は男子ばかりで奇異な目で見られなくもなかったが、まったく気にならなかった。
もし、このとき、敬子が別の大学を選択していたら、浪人しなかったわけだから、人生は変わっていたのだろう。浪人生活こそが、敬子の運命を大きく旋回させるのである。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)