とはいえ、これまで書いてきた現代小説と勝手が違うところも多かった。当時の人々は、何を食べて、何を着て、どういう暮らしをしていたのか。動植物はどうだったか。ウメたちが暮らしたであろう生活環境の細部を一つひとつ調べた。
現地取材を一度した後、連載しながらさらに取材するつもりが、新型コロナウイルスの感染が拡大し、再訪するのが難しくなった。
「島根は感染者が特に少なくて、とても東京から行ける感じではなかったです。石見銀山から温泉津に行く途中に海が見えるかどうか、といったことをぜんぶ、インターネットで調べて連載を書き上げて、ようやく去年、本にする前のゲラを直す段階でもう一度、確認のために現地に行きました」
行ってみて、大幅に修正しなければいけない箇所はほとんどなかったという。
江戸幕府のシステマチックなやり方は現代にも通じるものが
ウメという少女は型破りな主人公だ。夜目が利き、暗闇を恐れず、男にまじって自分も間歩(坑道)に入りたいと主張する。女ということで理不尽な目にも遭うが、暴力に敢然と立ち向かう強さがある。
「女だてらにとか男勝りという言葉があるぐらいですから、ウメみたいな子もいたんじゃないですか。間歩に入りたいって言い張る女の子ってどういう感じ?って考えると、『不思議の国のアリス』みたいな、ああいう性格になったんですよね。独立心が強くて、ニコニコ笑うより、いつもプンプンしてる感じですね」
ウメが出会う3人の男も、それぞれ異なる魅力がある。親とはぐれたウメが山中で出会う山師の喜兵衛は、見立ての能力があり大勢の銀掘りを統率する。母親が遊女の隼人とは年が近く最初衝突するが、いつしかウメを守ろうとするようになる。異人の血をひき、青みがかった瞳を持つ龍は、子どものころからウメを慕い続ける。
「魅力ある男を書こう、というより物語の整合性を重視しています。職業をまず決めて、周りとの関係性や生い立ちから、一人ひとりの性格を決めていきました」
龍が、瞳と同じ色の福光石で亡き人の面影を宿した石像を彫るというエピソードは、石見銀山で見た五百羅漢像の姿から生まれたそうだ。
「表情が豊かでいきいきしていて、しーんとした仏像とは違っていて。たぶん、生きていた人の姿を写したんだろうなと感じました。龍は小説の中では唯一、私に近い存在で、歴史に残らない人たちの声を残そうとしています。ただ、時代的に、龍が五百羅漢像を彫ったとするのは無理があるので、その萌芽みたいな形を小説に入れました」