ポンペイでは「ハイウェイをぶっとばした」
かつての日本郵船重役にして、旧財閥の流れを汲む一流ホテルの社長が、不肖の息子を、発足10十年未満の航空会社に潜り込ませることなど、おそらく、どうということはなかったはずだ。それを思うと「すべてを把握した上での入社」という敬子の推察は事実に違いない。
田中敬子のスチュワーデス生活も1年がすぎた。仕事にも慣れ、毎日が充実していた。「こんなに楽しい仕事はない」と思ったし「何なら満期の29歳まで勤務してもいいかな」とも思うようにもなった。外交官の夢はとっくに消え失せていた。
「ローマに滞在したとき、パーサーとスチュワーデス何人かで『このままホテルで時間を潰してもつまんないから、ポンペイを観光しよう』って言い合ってね。翌朝、レンタカーを借りて、大勢で箱乗り。それで車を飛ばしてポンペイまで行ったの。遺跡を見たり、食事したりとか、観光をひたすら楽しんだんだけど、みんな時間が経つのを忘れてさあ。決まった時間までにホテルに戻らないといけない決まりがあった。それで、大慌ててでハイウェイぶっ飛ばして帰ったのよ。よくエンストしなかったって思う」
横浜の自宅に一緒に住んでいながら、敬子と滅多に顔を合わすことがなくなっていた弟の田中勝一は「姉さん、先週はエジプトに行ったのか」「今週はまたハワイか」と無造作に置かれる写真を見て、世界中を飛び回る姉の消息を知った。
「この写真、お借りしていいかしら」
ある日のことである。
田中家に婦人の来客があった。彼女が写真を手に取って「このお嬢さんはどちらの方?」と父親の勝五郎に尋ねた。
「ああ、これはウチの長女です」
「え、お嬢様?」
「そうなんですよ」
厳格な警察署長である田中勝五郎が、スチュワーデスとして世界を飛び回っている娘を、たびたび自慢していたのを、勝一は何度も目撃している。
すると婦人は言った。
「この写真、お借りしていいかしら」
「どうぞ、どうぞ」
婦人は写真を持って帰ったのには理由があった。プロ野球選手である自分の息子の嫁にしたいと考えたのだ。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)