「アメリカ進出は、相馬さんがデビュー直前の私たちに語っていた夢でした。歌やダンスのレッスンをもっと積んでから挑みたいという気持ちもありましたが、チャンスというのは準備万端のタイミグでやってくるとはかぎりません。力不足を感じてはいましたが、これが巡り合わせなんだと覚悟を決めて前に踏み出しました」(ケイ)
翌1980年9月に解散を発表。1981年3月31日、冷たい雨がそぼ降る後楽園球場で行なわれた解散コンサートで、ピンク・レディーは4年7か月の活動にピリオドを打った。
「素人に毛が生えたような状態からのスタートでした。それが、誰も体験できないような素晴らしい経験をさせてもらいました。今もソロの表現者としてステージに立っていますが、ピンク・レディー時代にいつも頭にあった“私らしい表現”を追い求めています。ピンク・レディーは私にとって宝物。大切に心に刻んで、これからも前を向いて進んでいきたいと思っています」(ミイ)
ミイは、今年3月1日にベスト盤『MIE to 未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST』をリリースした。ソロになって約40年間、すべてが詰まった作品だという。
一方、ケイは解散後に中島みゆき作詞・作曲のシングル『すずめ』」でソロデビュー。40万枚を越えるヒットとなった。昨年、ソロ40周年を記念したアルバム『そして、ここから…』をリリースした。
ピンク・レディーとしては、これまで1984年、1989年、1996年、2003年、2010年と5度の解散と再結成を経て現在に至る。解散から30年の節目となった2010年に「解散やめ!」宣言。2017年、2018年に2年連続でレコード大賞のゲストとして出演、2018年には『ペッパー警部』『ウォンテッド(指名手配)』『UFO』のメドレーを披露した。わずか数分間のパフォーマンスだったにもかかわらずSNSを中心に多くの反響を呼び、あらためて幅広い人気ぶりを証明した。
「私たちのデビュー当時をまったく知らない、今の若い方を中心に多くの賛辞をいただきました。身に余る光栄だと思っています。でも、いつまで踊って歌えるかはわかりません。2人とも健康に過ごせているのは奇跡的なことで、だからこそゴーサインが出ればいつでもステージに立てるよう心身のトレーニングを毎日欠かしません」(ケイ)