5月に入ると週1で登校日もでき、学校に行きたいという感情が自分にあったことを亜紗は初めて知るが、〈うちら、後の世に“コロナ世代”って呼ばれるのかもって〉〈知らんよね〉〈うちらには今しかないのに〉と美琴が言う。
一方〈コロナ、長引け〉と念じるのは、ビルに囲まれた区立中学で唯一の1年生男子・真宙だ。その事実を彼や両親が知るのは小学校卒業の時。同級生がここまで中学受験するとは思わなかった彼は、サッカー部志望だったのに流れで理科部に入り、何もかもがどうでもよくなっていた。
また五島で両親が旅館を営む円華が1人になりたい時に訪れる堤防に佇み、同じクラスの〈武藤柊〉に〈ひょっとして、泣いてました?〉と声をかけられたのは、別に吹奏楽部の活動休止だけが理由ではない。
武藤は〈離島ステイ〉という留学制度の利用者で、野球部でエースの彼は福岡、また弓道部で常にクールな〈小山〉は横浜出身だったが、円華の家の近くの寮に住む小山にこう忠告した人がいたという。〈つばき旅館、島の外から来た客を泊めてるみたいだけど、近くに住んでて大丈夫かって〉。
たぶん同じ理由からだろう。幼馴染で部活も一緒の〈小春〉は〈ごめん、円華。しばらく、別々に帰ってもいい?〉と言い、それが何を配慮した言葉なのかがわかるだけに円華は傷つくが、そうした空気が日本のあちこちに存在したこと、また微かな心の傷や言葉にならない思いまでも、この小説は作中に保存している。
信じて任せるからこそ信頼される
「もしこれがノンフィクションだったら、タイトルは『あの夏』になったかもしれない。でも小説で書く時、渦中の人間にとっての夏はこの夏でしかないから、かけがえがないんですよね。
彼らは常に今を生きていて、コロナが収束しても戻ってくる日々は〈元通り〉ではなく、彼らが歩み出した新しい日々なんです。別にコロナで全てが根こそぎ〈失われた〉わけじゃなく、そこには経験も時間もちゃんとあったということを、たぶん私は書きたかった」
実は本書は好きなことに素直な大人の物語でもある。原理を17世紀に遡る〈空気望遠鏡〉作りを代々の部員に教え、宇宙飛行士の〈花井うみか〉など星仲間に顔が広い砂浦三高天文部顧問の〈綿引先生〉。
また天文はほぼ素人だが、〈やります〉〈勉強します〉と初対面のリモートで綿引先生に頭を下げたひばり森中の〈森村先生〉や、円華達をコンテストに巻き込んだ五島天文台館長など、好奇心と責任感を併せ持つ大人子供が実に多いのだ。