整形のカジュアル化によって広がったのは、利用者の多様化や、制度確立への声だけではない。ルッキズム(外見重視主義)という価値観もまた、誰しも気軽に美しくなれる時代だからこそ生まれたものだろう。
中村さん自身も、整形体験を綴ったエッセイを発表した際に、読者から「あなたがこれを書いたことにより美醜の格差が助長される。あなたはそれに加担したいのか」と糾弾する手紙が届いたという。
「とんでもない話だと思いました。美醜の格差というけれど、だったらどんどん整形が広がってみんなが美人になったら、格差なんてなくなるじゃないですか。『整形は格差を広げる』『親からもらった顔を傷つけてはいけない』と思うならば、やらなければいい。整形のカジュアル化は、決して美しさが正義になるのではなく、自己決定権や美に関する価値観をみんなで考え直すいい機会なのではないかと思っています」
理想の顔を求めて整形をし続けた末に、「かわいいの価値観は多様」という結論に辿り着いたという轟ちゃんもこう言い添える。
「昔は幅の広い二重に高い鼻、薄い唇……と“かわいい”のジャンルが一定だったけれど、いまは少しずつそれが変わってきているように思います。実際私も、一般的には短い方がよしとされる鼻の下から唇までの距離『人中』は長い方がかわいいと思う。これからは、自分がきれいだと思う姿、魅力的だと思う姿を、一人ひとりが目指していける時代になるのではないかと思っています」
かつては「神から与えられたもの」とされた「美しさ」はいま、私たちにとって努力すれば手が届くものとなっている。美しくありたいとはすなわち、自分を肯定したいという気持ちの表れ。「美」とどのように寄り添っていくのか、「美」とは何か、考えるときが来ている。
※女性セブン2023年9月7日号