日本のロックが野音から始まった
1960年代、日本は空前のグループ・サウンズブームを迎える。『日劇ウエスタンカーニバル』では、平尾昌晃さん(享年79)やミッキー・カーチス(85才)などのロカビリー歌手が人気を博し、その流れを受けてエレキギターやエレキベース、ドラムを演奏するグループ・サウンズが登場。若者の心を鷲掴みにする。
「1966年にザ・ビートルズが初来日し、日本の音楽シーンはロックへと流れていきますが、この頃はまだ、グループ・サウンズの歌手たちはアイドル的な扱いを受けていました。ただ、ロックとは本来、反骨精神が根底にあり、硬派なもの。そういったロックのあるべき姿を伝えたいと考えていた若者が、次第に野音で本格的なロックコンサートを企画し、開催するようになっていったのです」
中心となったのは元ザ・フィンガーズの成毛滋さん(享年60)。アメリカに渡り、本格的な野外ロックフェス『ウッドストック・フェスティバル』を体験した彼は、ミュージシャン仲間で、当時ザ・ゴールデン・カップスに所属していたミッキー吉野(71才)らとともに、1969年9月22日、小雨降る夕方の野音で『ニューロック・ジャム・コンサート』を開催する。
「ロックを啓蒙したいという成毛さんたちの思いから、誰でも来られるよう入場料は10円でした。
当時のコンサートの相場は1000円前後だった時代に10円、いまでいう100円程度の激安の入場料で本格的なロックが聴けると、このコンサートは話題を呼び、『10円コンサート』として広く知られていきました。
来場者数は1200人程度でしたが、野音に鳴り響く大音量の音楽は、まさに日本のロックの夜明けといえるでしょう」
なぜ、ほぼ無料に近い10円という金額でコンサートが行えたのだろうか。
「それは野音が公共の施設だからだと思います。現在の会場使用料も民間施設に比べてかなり安い値段設定です。だからこそ、入場料も安く、若い世代も利用しやすいのです」
このコンサートをきっかけに、野音はロックの聖地と呼ばれるようになっていく。
(第2回につづく)
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2023年9月28日号