「不定期ですが、愛知にいる帝京大学出身組で飲み会を開催してくれます。所属チームと代表の活動で一年中ラグビー漬けですが、彼にとってはそれが束の間の休息なんでしょう。酒豪で、ハイボールのなかでもジャパニーズウイスキーばかり飲むのですが、まったく顔色が変わらないんです。まるで水かのように飲みますね。ラグビーでも飲み会でも敵わない……」
ラグビー関係者は姫野のキャプテンシーについて「口が達者なわけではないのですが、体を張り、背中で見せるから仲間が信頼する。その礎を築いた一因に大学時代の“脱体育会精神”があるのは間違いない」と語る。帝京大学ラグビー部OBの話。
「帝京大学では上級生が雑務を引き受けます。体育会と言えば下級生が道具の片付けから洗濯などまで引き受けるイメージでしょうけど、まったく逆の文化なんです。下級生はまず大学ラグビーで通用する体を作るのが急務。雑務をしていてはそんな余裕が無くなってしまいますからね。姫野も黙々と片付けをして、下級生たちに交じってトレーニングをしていました。
彼は行動で示すタイプでしたが、それがさらに加速したのが大学3年生ぐらいの時。怪我が重なったこともあって、控えに回ることが多かったのですが、当時監督だった岩出雅之さんに『NO.8』から『ロック』のポジションへ転向するよう指示されたそう。ロックは派手なプレーをするのではなく、どちらかというと縁の下の力持ち的なポジションです。手足がちぎれてもチームのために体を張るのが使命。それを経験して姫野は一層愚直なプレーヤーになりましたね」
大学卒業後に進んだクラブでは入団1か月でキャプテンに抜擢。その6年後、日本代表のキャプテンとなり桜の戦士たちを率いてフランスで闘うことになった。日本代表の命運は姫野が握っている。