実際、どれだけ伏せても学校の周りにいたマスコミには、近藤さんの娘が被害者であることが知られ始めていた。そうなると、学校側は被害届を出さないよう求めてきた。
「仕方ないけどそうするしかないと、夫と娘、きょうだいで話し合って決めました。それが正しかったとは、今も思っていません。加害者はもう教員はしていないと言われましたが、時間が経ったからと、どこかで教育に携わる仕事をしているかもしれず、新たな被害者が出るかもしれない。逮捕されていれば、名前が知れ渡り、簡単に教育の仕事はできないはずですから」(近藤さん)
性犯罪者のデータベースを使い、教育現場など子どもと接する職場での従事について、登録者を制限するという「日本版DBS」創設に向けた議論が熱を帯びていたが、結局、国会への提出は見送られたと報じられている。教職者によるわいせつ行為が相次ぐ昨今の状況を鑑みると、特にこの分野において、我が国の取り組みはあまりに後手後手に回りすぎている感が否めない。
「被害に遭った後、カウンセラーの紹介で被害者同士の会合に参加したこともありました。教員に被害を受けたが、周囲の目もあって被害届を出せなかったという母親二人とお話をしました。共通するのは、被害者なのに教員の将来を盾に圧力をかけられることと、脅されたり、周囲の目に更に怯えなければならないようになることでした。訴えて教員が逮捕されても、わたしたちのせいで先生が逮捕されたとも言われかねない。また、周囲の事件に関係のない生徒にも”迷惑”がかかる、とも言われます。受験や就職に影響する、と。被害者にしかわからない苦悩だと思います」(近藤さん)
近年は、世界中で子供に対する虐待、性被害の告発が相次いでいる。なかにはカトリック教会やアメリカボーイスカウト連盟など、子供が安全に過ごせるはずの場所での被害も多い。大人になってから何十年も前の被害をようやく訴えた人たちは、被害者なのに自分が悪かったかのように考えていたとも告白する人が多い。傷をいやすのではなく、被害者が悪いと認知の歪みを押しつける風潮は、学校で起きている不祥事への対処をみると、いまも続いているのだろうと思わずにはいられない。