「世の中ってびっくりするほどいろんな人がいるからね。本当にめったにいないんだけどね、ひとりいるとそれが大きくなっちゃうんだ」
大きくなる、とはお客さまセンターやら、ネットということか。
「そういう人はひとりで何十回とかクレーム入れるからね。ネットならひとりで何十人でも何百人でもなれちゃうし、ものすごく大きな声っぽくなっちゃうよね」
ネットの種類にもよるがSNSも含め、そうしたケースはある。声なき声が大半でも、声の大きい少数が大きな声を出せばそれが大勢となる。これは「水を飲む店員はけしからん」に限った話ではないだろうが、社会を窮屈なものにしている一因であることは確かなように思う。
「言う事をきく必要はないって意見が多いのはわかるけど、なるべく穏便にしないとエスカレートするし、言う事きけば大人しくなることが多いからって事なかれが『お水を飲ませていただきます』だと思うよ」
先の高齢者の中には別の見方をする方もいた。
「ずっと昔はゆるかったのにね。まだ個人商店ばっかりのころよ。商店街とか、みんな適当な接客だった。スーパーだってみんな正社員だったから意見は強かったしね。店員さんがストやったり、労働組合が強かったりしたころよ」
確かに、筆者も1970年代後半なら幼少期の記憶としてうっすら覚えているが、デパートやスーパーの店員は正社員かつ、けっこう「なあなあ」だったような気がする。商店街に至っては「日常の中で物を売っている」という感じで赤ちゃんをおぶったままだったり、万年こたつにあたったままだったり、奥で食事中だったのか口にものを入れたまま「何買うの?」どころか煙草を吸ったりせんべいを食べながら店番をしていたりした。「売ってやってる」は諸外国で当たり前に遭遇するが、昔の日本にもあった。
昭和と現代のギャップを面白おかしく描いた『不適切にもほどがある!』なんてドラマが放映されているが、是非はともかく、そういう時代は確かにあった。
先の元教員が語る。
「バブルが弾けたあたりですかね、冷戦の終わりごろ、1990年くらいから締めつけというか、従業員に対する管理が徹底したように思います。それは教員も同じでした。理由はいろいろなのでしょうが、日本人に余裕がなくなったこと、非正規が増えたことが一番のように思います」