危険な単独行を続ける理由
単独忍び猟については、色々な懸念もある。まずは、何といっても危険性だ。
確かに滑落した場合などの死亡率は、複数で山を歩くのに比べれば圧倒的に高いだろう。山奥で険しい稜線を歩いていたりすると、自分の哀れな末期が思い浮かぶことがある。
でも誰もが何らかの形で人生の終焉を迎える。そして幕引きの筋書きは、大概に於いて本人の力ではどうにもならない。
敢えて危険に身を晒したり、自ら死に近付いたりするような真似は決してしないことは、言を俟(ま)たない。人様に迷惑をかけないよう、最大限の努力も怠らない。その上で、万が一のことがあったら、それはそれで仕方がないかと思っている。
畢竟(ひっきょう)、最も大切なのは、どう死んだかではなく、最期の瞬間までどう生き切るか、なのだ。
また、よく聞かれるのが、一人で心細くないのか、孤独ではないのか、ということだ。
確かに、山の中にいるのは僕だけで、一日中誰とも会わないのが普通だ。寂しさを感じることもよくあった。今まで入ったこともない場所まで来てしまい、あまつさえ天候が荒れてきた時などには不安も増大する。
でも今は知っている。木立の奥には、同じく吹雪を耐え忍んでいる動物たちがいることを。白銀の大地の下には、春を待つ草花の種が眠っていることを。そして、分厚い雪雲を突き抜けた上には、全ての生命エネルギーの淵源である太陽が常に輝いていることを。
ヒトは“1匹”しかいなくても、周りは命に満ち溢れている。
そもそも孤独とは何だ。「孤独」という単語を見つめてみる。すると、その意味合いとは裏腹に、二つの漢字が寄り添うことで成り立っているのに気付く。
更に解きほぐしていくと、子と瓜、獣偏(けものへん)に虫──。いずれも命の要素で組み上げられているではないか。
一人になることで初めて深く実感できる、それらとの繋がり。山で味わう本物の孤独とは、寂しさや不安の先にこそ存在する、無窮の喜びと安寧に浴することではないかと、僕は思っている。
(第4回に続く)
【プロフィール】
黒田未来雄(くろだ・みきお)/1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』(小学館刊)。
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