切り取りだって使っちゃだめ
成田悠輔さんは日本の高齢社会に関して言及することが多く、その中でたとえば、下記のような意見を述べていた。
〈どうしたら今の、この高齢化と様々な人生のリスクを軽減できるだろうかと言うことを考えて、たどりついた結論は、ま、集団自決みたいなことをするのがいいんじゃないか、特に集団切腹みたいなものをするのがいいんじゃないかということです〉
〈僕はもう唯一の解決策は、はっきりしてると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか〉
その中で使われていたのがこの「集団自決」であった。キリン「氷結」の広告展開の一環だったが反発は凄まじく、いつもは対立と分断ばかりとされたネット民が右も左も一斉蜂起、数日に渡る抗議活動の末にキリンは成田悠輔さんの起用を取りやめ、成田悠輔さんが使われている広告部分そのものをすべて削除した。
別の出版社の広告部にいた経歴のある編集者は「意見は自由」という前提でこう語る。
「使ってはいけない言葉ってあると思うのです。時と場所、そして立場によってはさらに使ってはいけない言葉です。以前あった騒動だと『ホームレスの命はどうでもいい』とか、『自業自得の人工透析患者はそのまま殺せ』とか、『低身長の男は人権がない』とか。飲みの席や家の中で言ってる分には友人や家族から軽蔑されるだけで済むかもしれませんが、著名な活動をしている人が社会に向かって発信したら、そりゃ批判されますよ」
成田悠輔さんはそれを〈抽象的なメタファー(比喩)〉とすることもあれば、〈メタファーではない〉とする場合もある。
「いずれにせよ批判覚悟で言うのは自由ですけど、そういうイメージがつくと(広告として)使いづらいのは当然でしょう」
擁護する中には「切り取り」であるとする人もあるが、どうか。
「切り取りだって使っちゃだめでしょう。そういう言葉を使うのは自由ですけど、その擁護してる人だって、職場で公然と『老人は集団自決しろ』とか口に出して言ったりしないでしょう。それをわかっててネットの匿名だからと擁護するの、ちょっとずるいですよ」
あくまで彼の意見だが、確かにネットはともかくリアル会社で高齢者は邪魔だから死ね、といったニュアンスの言葉を公然と発する人はなかなかいないように思う。