【書評】『国家と歴史』(波多野澄雄著/中公新書/924円)
【評者】山内昌之(東京大学教授)
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隣国と共通の歴史認識と共通の教科書を何故もてないのかという声をよく聞く。しかし、国家と歴史との関係はそれほど単純なものでないことを本書は教えてくれる。戦争や植民地支配だけの問題ではない。体制の異なる国では歴史を共有することがそもそもむずかしいのだ。
日中歴史共同研究に参加した筆者は、歴史認識の共有が望めなくても、誤解や先入観、偏見に基づく誤り、あるいは誇張されて伝えられる歴史を排除し、正すことで不必要な摩擦を避けられると主張する。同じ共同研究に加わった私もまったく同感である。
また、日中戦争の不幸な時期を除けば圧倒的に長い友好と交流の時代を冷静に見つめ直すことで、「日中の歴史的な存在意義や分かちがたい関係を確認する」という見方も正しい。
日韓歴史共同研究の難しさは、日中関係とはまた異質なものである。教科書問題と切り離して共同研究を進めようとする日本側と、教科書記述の是非を争点とする韓国側の認識は、研究と教育、学問のあり方と国家の規制原理をめぐる日韓の立場の違いでもあったからだ。そもそも歴史教育を「愛国主義教育」や国家観涵養の場ととらえる中韓と、完全な検定制度で自由な歴史記述を教科書に認める日本との間には、越えがたい溝がある。
それにしても、平和国家論を表でふりかざした戦後日本は、過去の戦争評価について公的検証や説明を避けてきた。こうした政府の態度は、公的な慰霊や顕彰の対象は誰なのか、国家補償すべき真の戦争犠牲者が誰なのか、戦争責任者とは誰なのかについて曖昧なままにしてきた。
明確な答を避けたままに、公務に殉じた日本人への償いを優先した歴代政府の立場では、たとえ平和国家論を前面に立てようとも、対外的理解を得られなかったという著者の指摘は、大いに説得力に富む。透徹した歴史観と堅固な実証性が結びついた現代史の力作である。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号