国際情報

イスラムテロ犯 W杯日韓大会で日本でのテロを計画していた

 警視庁公安部が国際テロ専門の外事3課を設置してから10年となる。新設理由は、2001年9月11日の米国同時多発テロ以降、日本も国際テロ組織の標的の例外ではなくなったからだ。映画「外事警察」のモデルともなった外事3課はこの10年間、実際にどのような捜査を担ってきたのか。産経新聞記者の大島真生氏が解説する。

 * * *
 当初70人規模で発足した外事3課だったが、人員を一気に3桁に引き上げた人物がいる。アルジェリア系フランス国籍のリオネル・デュモン――アルカーイダ系のテロ組織「ルーベ団」幹部である。

 1995年、フランス人の仲間と「ルーベ団」を結成したデュモンは、現金輸送車などの襲撃を繰り返し、市民らを死傷させた。1996年にはフランスのリヨン・サミット前の雇用関係閣僚会議に合わせて爆弾テロ未遂事件を起こし、その後、ボスニアに潜入、1997年3月に警察官を殺害した容疑で逮捕され、懲役20年の判決を受けていた。しかし、1999年5月、ボスニア最大の都市サラエボの刑務所から脱獄に成功し、2003年12月にドイツ・ミュンヘンで逮捕された。

 脱獄から再逮捕までの4年余り、デュモンは不気味な沈黙を続けていたが、そのうち、9か月間以上に亘って日本に潜伏していたのである。

 逮捕後、判明したデュモンの約300日間に及ぶ国内潜伏の足取りを見てみよう。

 捜査開始当初、最初に入国が確認されたのは2002年7月17日、シンガポールから偽造旅券で成田空港に到着。その後、3か月間の短期滞在ビザが切れる直前の10月5日、マレーシア・クアラルンプールに向けて出国。同月中にクアラルンプールから再来日すると、約2か月後の同年12月、ドイツ・フランクフルトに出国している。

 翌年3月に3度目の来日、5月28日にクアラルンプールに向かった。そして同年7月から約2か月間、日本に滞在し、同年9月に再びクアラルンプールへ出国、その後、ドイツに渡っている。いずれも短期滞在ビザの期限内に出国していた。

 国内潜伏中は、新潟市内のマンションで生活しながら、新潟東港近くの中古車販売業者に出入りし、海外に輸出する中古車を運ぶ仕事をしていた。一時は群馬県高崎市にも居住。中古車販売に関連して、長野県や埼玉県にも足を運んでいたほか、群馬県伊勢崎市内のイスラム系寺院(モスク)にも顔を出していたことが確認されている。

 これらの事実が判明したのは、彼がミュンヘンで逮捕された後の2004年5月。日本滞在中は、公安警察はまったく把握できていなかった。

 本格的なテロリストの国内潜伏判明に、日本の公安警察は驚愕するとともに、国際テロ対策の人員増を迫られ、唯一の専門部隊である外事3課が一気に増員されたのである。

 自分たちのまったく知らぬところで大物テロリストが国内を自由に闊歩していたことに驚かされた公安警察だったが、実は彼らは、デュモンにもう一度驚かされることになる。

「サッカーワールドカップを狙って日本でテロを計画していた」という米国からの情報だった。2003年3月に米国当局に拘束されたアルカーイダの幹部、ハリド・シェイク・モハメドの供述だという。

 サッカーFIFAワールドカップ(W杯)日韓大会は2002年5月31日から6月30日までの日程で行なわれた。だが、モハメドは「日本にはイスラム教徒が少なく、支援体制(インフラ)の構築が困難だったため断念した」と説明したという。

 そもそも米同時テロの際にもモハメドやビンラディンは日本を標的のひとつに考えていたことが、やはりモハメドの供述で分かっている。

 米国とアジアで同時多発テロを計画していたが、2000年の段階でビンラディンが時差を理由に「米国とアジアで同時に行なうのは難しすぎる」としてアジア計画を断念し、改めて米国内の攻撃だけに絞った経緯があるのだ。モハメドの供述によれば、アルカーイダは1996年に航空機での対米テロを考案、1999年には計画を具体化させていたという。

 外事3課によるデュモンの脱獄中の足取りを追うその後の捜査で、デュモンが脱獄した1999年の当初から、既にタイ・バンコクや韓国・ソウルを経て日本への出入国を繰り返していたことが新たに明らかになった。このため外事3課はデュモンの入国には、日本でのテロを前提にした「明確な意図があったのでは」との強い疑念を抱いたのである。

 デュモンの捜査でマンパワー不足を痛感させられた外事3課の人員は増員され、現在もイスラム系の人的ネットワークに目を光らせている。テロを未然に防ぐ、あるいは、いざ事が起きればすぐにでも動くための態勢を維持しているのだ。

 デュモン事件後、外事3課長はキャリアポストへと格上げされている。外事警察の中でも3課はエリート集団と認知されたことの証左である。

※SAPIO2012年7月18日号

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