【著者に訊け】横山秀夫氏・著/『64(ロクヨン)』/文藝春秋/1995円
横山秀夫が帰ってきた。7年ぶり、満を持しての新刊『64(ロクヨン)』はデビュー作の『陰の季節』にもつながる「D県警もの」。警察小説ブームを牽引した人気作家が長い沈黙を破って発表する650ページの大長編は、本好きの間で発売前から評判が飛び交った話題作である。「再デビューみたいでとてもうれしいけど、同じぐらい不安です。本を出さなかった時間が長ければ長いほど読者の期待値も高まるでしょうし」と横山氏。
昭和64年。わずか7日で終わった昭和最後の年に事件は起きた。近所の親戚の家にお年玉をもらいにいった小学生女児が誘拐・殺害されたのだ。身代金を奪って犯人は逃走。〈D県警史上、最悪の事件〉の解決を誓い、刑事たちは事件を「ロクヨン」の符丁で呼んだ。
それから14年。時効が1年後に迫り、〈事件そのものがすっかり風化してしまった〉頃になって突然、警察庁長官が視察に来ることになる。本庁の真意はどこにあるのか。さまざまな思惑が交錯し、「ロクヨン」が再び蠢き始める。
2005年に長編『震度0』を出したとき書き終えている連載が3本あったが、次に出す本として横山氏が選んだのは中断したままの『64』だった。
「書きおろしができず雑誌に連載した経緯がありますから、自分はこの作品から2度逃げています。『64』を置き去りにして前には進めないと思ったわけですが、それが地獄の始まりでした」(横山氏・以下「」内同)
ミステリーの骨格は決まっているのにどうしても自分が思う小説にならない。ボタンの掛け違えに気づきながら何とか完成させたものの、発売日も決まった段階で「このままでは出したくない」と編集者に電話した。3年前のことだ。その後も改稿を繰り返したが、「どうしていいかわからず、樹海の中で迷子になった気分になった」。十二指腸潰瘍の再発に胃潰瘍、うつ状態が重なったあげく、記憶喪失の状態に。
「主人公の名前を忘れる。前に書いた文章や担当編集者の名前も思いだせなくなって、これはもう作家廃業かと追いつめられました」
今から思えば『64』からの逃避だったという。日常生活への支障はなかったので、書けない時期は庭の草むしりをして過ごし、夜はパソコンの前に座ってタバコばかりふかしていた。
旧作の文庫本が版を重ね、映像化された作品も多いので7年の空白を持ちこたえられたが、「宵越しの金はもたない」江戸っ子気質で暮らしていたため、最後は「群馬では足も同然」の車も手放したという。
光明が見えたのは昨年の暮れあたり。この小説にどうしても必要だったエピソードが1つ2つと浮かび始めた。ラストの部分は昔のペースに戻って、食事もとらず一息に書きあげた。
「D県警もの」ではあるが『陰の季節』の二渡の登場場面は少なく、完全に独立した長編になった。ミステリーとしての意表をつかれる展開もみごとだが、これぞ横山秀夫と思うのは人の思いが丁寧に描きこまれた細部だ。たとえば交通事故の匿名発表の件で、改めて実名を出し直してもおさまらない記者に、三上が車にはねられた被害者の経歴を淡々と読み上げる場面。
〈銘川は北海道苫小牧の出身。家が貧しくて小学校もろくに通えず、職を求めて二十歳前に本県に出て来た〉〈県内及び近県に身寄りもない。自宅は長屋風の2DKで――〉
加害者の実名を執拗に求めたメディアも顧みなかった1人の老人の死。〈不覚にも声が裏返った〉。匿名発表が覆い隠したのは名前だけでなく、〈銘川亮次という人間がこの世に生きた証だった〉。
詳細な経歴を調べてきたのは軽んじていた部下の1人だった。〈刑事のまま警務を生きるのか〉。悩みながらも仕事を通して人とかかわり、三上は変わる。
「天職と思って仕事ができている人は多くない。天職でつかめる果実もありますが、天職ではない場所で苦労してつかみとった結果こそ本当の珠玉だと私は思うんです」
(構成/佐久間文子)
※週刊ポスト2012年11月16日号