企業を信用しなくなった若い世代は組織で働くことを忌避し、日々の仕事に汗する勤め人を「社畜」と馬鹿にする。しかし、人材コンサルタントの常見陽平氏はあえて今「社畜」としての道を極めることが、厳しい時代を勝ち残る術だと喝破する。
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「社畜」という言葉は字面からしてイメージが非常に悪い。インターネット上を中心に、「会社の家畜(歯車として奴隷のように働く者)」という意味で使われる用語だが、「会社組織にしがみつくだけの馬鹿な奴ら」という侮蔑のニュアンスが含まれる。
自分らしさや個性を大事にする若者世代は、社畜に強い嫌悪感を抱く。そしてブームとなったのが、カフェでMac Book Airを開いて仕事をする人々に代表される「ノマド(遊牧民)」というスタイルだ。SAPIO2012年11月号で私は、流行に乗っただけのノマドたちを批判した。
ただし、「社畜」と「ノマド」の二項対立を深化させてもあまり意味はない。私は現在フリーランスとして生計を立てている。言ってみれば「ノマド」かもしれないが、その基礎は会社員時代に「社畜」として学んだものだ。
社畜のイメージは、個性を大事にする現代の雰囲気に合致しないかもしれない。しかし社畜でいることにはたくさんの効用がある。だから私は、社畜を評価できるものとして定義し直したいと考える。
そもそも、本当の社畜は指示されたことをただ黙々とこなせばなれるものではない。真に組織の利益を考える人間は、目の前のタスクと真剣に向き合い、努力を積み重ね、その中で新しい価値を生み出せる存在へと成長していく。
私はそういった健全な愛社精神を持つ社畜を“ネオ社畜”と呼ぶ。自分が主役でないことを受け入れた上で、エンドユーザーや取引先はもちろん、上司や同僚といった周囲の人に感謝し、期待に応えようとする中で、新しい価値や利益を生み出す存在のことである。「強い社畜」と言ってもいい。
※SAPIO2013年2月号