【書評】『ミュシャ財団秘蔵ミュシャ展 展覧会カタログ』2000円(「ミュシャ展」は新潟県立 万代島美術館で開催中)
【評者】大塚英志(まんが原作者)
ジブリ美術館がこの間まで、イギリス十九世紀末の挿画の宮崎駿への影響を自ら検証する展示会をしていたり、海野弘がバルビエなどのアール・ヌーヴォーの挿画や、イギリスのいわゆる“挿絵の黄金時代”の画家たちの作品集を次々刊行しているのを改めてみても、この国の少女まんが的な絵柄(ジブリの現在の絵は「少女まんがの絵」である)の起源がヨーロッパの世紀末やアール・ヌーヴォーあたりにあることは、改めて確認できる。
ぼくは手塚的な絵の起源を「ミッキーの書式」としてディズニーと1920年代のロシア構成主義に求めたが、もう一つ、「ミュシャの書式」とでも言うべき作法が少女まんがの成立史として検証されてしかるべきだと考えてきた。
ミュシャというとキャッチセール画廊の定番商品というイメージが今や強いが、「24年組」とその後継者がその作画手法に「ミュシャの書式」を採用したことはいくらでも例が出せる。
問題は少女まんが的なものとミュシャの結びつきで、多分、与謝野晶子『みだれ髪』で、藤島武二がミュシャふうの意匠を採用したことが起源だろう。晶子の短歌は女性の内面身体の双方を主題として、政治的であることをも忌避しなかったが、そのような女性言説がミュシャと結びつき(じつはミュシャも晩年はナチスに弾圧される程度に政治的だった)、やがて少女小説の中で継承され「劣化」していく歴史があった。
「24年組」は少女まんがに「内面と身体」という近代文学的要素を復興させたが、その彼女たちが二十代の後半、こぞって渡欧し、ミュシャに代表されるヨーロッパの挿画の影響を再受容したのは重要である。彼女たちは内面・身体の発見と、「ミュシャの書式」という、近代女性文学の二重の起源に回帰したのだ。
なんて、授業でだけは話していたら、まんが家になった教え子の女子がこっそり海外移住の準備を始めていることが発覚した。まあ萩尾望都とか、散々読ませた責任がぼくにもあるが、この際、行ってこいや、と思う。
※週刊ポスト2013年7月5日号